<第1回>開業前に入っていた起業塾は3つ

中小企業の価値を上げることをビジョンに日々弁理士として奮闘されている原田氏に、開業後の人脈形成術についてお話を伺いました。

プロフィール 原田貴史 

1979年 北九州市生まれ、さいたま市在住。

 下請けのカーナビメーカーに入社するも、元請けメーカーからの無理な納期、突然の製品の仕様変更、値下げ要求が当たり前のように行われる状況の中、同僚が鬱病になるなど、下請けメーカーの過酷な現実を目の当たりにする。 また、一本のネジを1銭でも安くするための血が滲むような努力をし、会社は、わずかな利益を捻出していることを知る。 どんなに頑張ってもその頑張りが正当に報われない現実があることを痛感する。

 特許を保有する中小企業の方が、特許を保有しない中小企業よりも、従業員一人当たりの売上が131%高いというデータがある(2009年中小企業白書)ように、特許は、中小企業の努力の結晶である虎の子の技術を独占可能にできる強力なビジネスツール。 

日本の中小企業は、素晴らしい技術力・商品力を持っている。 「本来の実力や努力が正当に評価される中小企業を1社でも増やす。」ことを信念にしている 。

対談スタート

開業前には200万の自己投資

【ミカタ編集部】
こんにちは。本日は原田国際特許商標事務所代表弁理士の原田先生にお越しいただきました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。原田先生は開業されて7ヶ月で年商が1000万円を超え、今では埼玉県の中で商標申請数2017年度一位になっています。すごいですね。多くの人から頼りにされている弁理士先生の1人です。まず原田先生のプロフィールからお伺いしたいと思います。もともと弁理士になるきっかけは何でしょうか。
 
【原田氏】
私は就職活動した時、就職氷河期で、1回目はうまくいかず2回やりました。1回目の就職活動の時に100社受けて、1社だけしか内定をもらえませんでした。私は大学院で人工知能の研究をしており、開発系の会社に行きたかったのですが決まった会社は趣味でやっていたパチスロ関係でした。パチンコ屋さんに行こうかと少し迷いましたが、もう1年留年して勉強をイチから頑張り、就職活動をもう一度やることに決めました。しかし2年目もとても苦労しました。このまま就職が決まらず人生も終わってしまうのではないかという非常に厳しい状況でした。その時苦労し、会社は個人を守ってくれないということに気づき、最悪1人でも食べていける力をつけたいと思ったのが弁理士になるきっかけです。

【ミカタ編集部】
では最初メーカーさんに就職され、その後弁理士事務所を経て独立されたという事ですね。実際に事務所に所属していた時と独立された後ではどういった違いがありますか。

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