金メダリスト・羽生選手がケガから復帰して語った「本質」のきわめかた

ポイント
  1. 不世出のアスリートである羽生選手の言葉から何を学ぶのか。起業家が我が身のこととして考える!

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今年の韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪の男子フィギュアスケート競技で2大会連続の金メダルを獲得した羽生結弦選手。2月27日に東京・有楽町の日本外国特派員協会(FCCJ)で帰国後初の記者会見があった。

特定のスポーツや一芸を持って世界一になった人物の言動には、自らの力でビジネスや事業を切り開こうとする起業家と通じるところがある。特に成果を出すために継続的に自己を磨き、不断の努力で観衆やテレビを見ている人々が熱狂する演技で魅せる。

会社経営者なら自らの商品やサービスといった事業を磨き、顧客や消費者の利益になるような企業体をつくらねばならない。そんな共通点を抱える起業家は、不世出のアスリートである羽生選手の言葉から何を学ぶのか。起業家が我が身のこととして考えたい、羽生選手の会見での発言を振り返ってみた。

▼「この五輪で金メダルを取りたい気持ちは強かった。(ケガで滑ることができない時も)できない間だからこそ机でパソコンに向かって学ぶことができた。またケガをしないよう、トレーニングの方法、ピークの作り方、メンタルなどを勉強しました

怪我から復帰したばかりで、練習がほとんどできなかった状態から金メダルを取った羽生選手。特に、2014年のソチ五輪からは怪我が多かった。「滑れない時にも、やれることはある」と、治療に専念するかたわら、メンタルな部分の強化やイメージトレーニングを積んできた様子がうかがえた。

経営にも忍耐が続く時期がある。思いがけないリスクで業績が落ち込み、信用を失い、怪我をしたのを同じ状態になることもあるはずだ。状況を改善するさまざまな手を打つ中で、焦りはあっても冷静に学ぶことをみつけて積み上げていく。自身のメンタルや成長につながる心構えを整えていくことは、一流のアスリートに見習いたいところだ。

▼「なわとびで例えると、『4回転ジャンプ』は1回転しながら三重跳びを、『4回転半』は2回転しながら四重跳びを、『5回転』は3回転しながら五重跳びをするようなイメージ

羽生選手は記者に4回転ジャンプを説明しながら、さらに難しい4回転半、5回転のジャンプについて「いつかは挑戦してみたい」と意気込みを語った。ロイター通信の記者が、こうした高難度ジャンプについて、どんな感じなのかと問われて、上記のように説明した。

思いがけない質問だったらしく答えるまでしばらく頭を抱えていたが、回転数が少し増えてもどれだけ難度が上がるかを、誠実に表現できるか。コミュニケーションの中でも「例えて表現する」ことは非常に高度ではあるが、ごまかさずに自分の言葉で伝えてみる。羽生選手の生真面目さが伝わる表現だったように思う。

▼「ルール変更はあるかもしれないと聞いています。技術が高度になると、それにふさわしい芸術(的な表現)が足りないという指摘もあります。でも、芸術はあくまで正しい技術が基礎になっている。正しい技術を使い、それを芸術として見せることが一番大切なこと

スキーのジャンプや複合競技などで、国際オリンピック委員会(IOC)がルールを変更するケースは、たびたびあった。本場・欧州の選手がメダルを取れない状態が続くと、ルール変更が起きやすいとの指摘もある。フィギュアスケートにもその余波が及ぶのではないかとの懸念を記者が質問した格好だが、羽生選手の回答は「本質をとらえる」という意味で、ブレがなかった。

やはり、自分の競技の本質やプリンシプル(原則)というものを、普段から考え抜いているからこそ、出てきた言葉のように思う。起業家も、自分の手掛けているビジネスが顧客にとって、社会にとって、どのような本質を提示することができ、プリンシプルを堅持できるかを示すことは非常に重要になる。

これら以外にも多くの質問に対して答えた羽生選手だが、やはり一貫して明るく誠実に、できる限り的確に答えようと奮闘する姿が清々しかった。怪我について、「ピークの痛みから20〜30%しか落ちていない。痛み止めを飲んでサポートを受けて滑れたことを、みなさんに感謝したい」と話していた。早く回復して、再び圧巻の演技を氷上で繰り広げてほしいと思った会見だった。

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著者プロフィール

三河主門

三河主門

2017年5月に日本経済新聞社を退社して独立。各種新聞・雑誌・ウェブメディアに記事を執筆しながら、フリーランスの編集者、メディア・リレーションのコンサルティングとしても活動している。17年11月に「Mikawa&Co.合同会社」を設立、中小企業・スタートアップベンチャーのためのPR(広報)コンサルティング、セミナーなどを手掛けるほか、教育関連コンテンツの製作も開始した。 日経記者時代は主に企業取材を担当。産業部(現・企業報道部)記者として長い経験がある。2007~10年にバンコク支局長として駐在した経験と人脈を生かし、タイのビジネス・社会・文化を研究・紹介する活動に長く携わる。