地域ブランドを世界展開させるために!和歌山の酒蔵が行なった組織改革と地域ブランドの確立とは?

更新日:2018.06.12

東京のベンチャー企業から衰退産業である日本酒業界へ

伊藤)本日はよろしくお願いします。まずは山本さんの経歴について簡単に教えていただけますか?

山本)和歌山にある平和酒造で代表取締役専務をしております山本典正です。平和酒造は私で四代目ですが日本酒の蔵元としては歴史が長いわけではありません。山本家が酒造りを始めたのは昭和3年です。社名は「平和な時代に酒作りをする喜び」という思いを込めてつけられたと聞いています。

私は大学卒業後、ベンチャーの人材派遣会社に就職しました。新卒でベンチャーを選んだのは経営者になりたいという思いがあったからです。二年ほど我武者羅に働いて社内でのポジションも確立したのですが、健康面や体力面での不安などがあったことと、ちょうどその時期に父が病気をしたこともあり起業を諦めて実家に戻ることを決断しました。

私の父は、大手総合商社サラリーマンから母の実家である平和酒造に婿入りし経営者になりました。なので酒作りに関してはほぼ素人でした。祖父の時代は大手メーカーの下請けとして酒造りのみを行っていましたが、父は大手のビールを安く売ることで酒造の再建を果たしました。また父はパックの日本酒や梅酒の販売も行っていました。

しかし、日本酒業界全体で言うと 1972年から45年間で3割ほどに売り上げが落ち込んでいます。まさに衰退産業そのものです。それが日本酒業界の現状です。

伊藤)7割も減少したんですね…日本酒業界は衰退産業とおっしゃっていましたが、山本さんはなぜ衰退していったと分析されますか?

山本)それは、時代が変わっていくのに酒の味は変わらなかったことがひとつの要因だったと考えます。味のブラッシュアップができていなかったんです。人間の社会では30年間同じものを使い続けるのは難しいと思います。人間の感性はどんどん洗礼されていきます。ただ同じことを続けるのは退化でもあります。

伝統産業でもそれは同じです。もちろん守らなくてはならない部分もありますし、変わらないことを求められているものもあります。 昔評価されていたものと変わらないものを出し続けているのにも関わらず評価が落ちるのは、時代や受け手のニーズに商品が追いつかなくなってきている証拠です。変わらないことに価値があるものはいいですが、変わっていかなければならないもが多いというのも事実です。


紀土、鶴梅、平和クラフト 全て平和酒造で醸造している

全てはいい酒を造るために!日本酒造りに必要な組織改革

伊藤)ご実家に戻った当初、何に一番苦労されましたか?

山本)私と従業員のモチベーションのギャップですね。当時の私は「とにかくこの酒蔵を良くしよう!」「変革しようという!」とやる気の塊のようでしたから。そんな人間が戻ってきたことは、当時酒作りにやりがいを失っていた従業員にとってはあまり気持ちのいいものではなかったようです。

伊藤)なかなか埋まらない溝ですね…

山本)はい。お互いに居心地の悪さを感じていました。私が実家に戻った13年前、酒造の従業者はみんなやる気がなくどんよりとした空気感が充満しており、会社自体もやりがいが薄れていました。面談を行ってもポジティブな声はなく、「休みがない」「肉体労働が嫌」「体力的にきつい」「拘束時間が長い」など、不満ばかり聞こえて来ました。

確かに朝5時半から 夕方5時半まで拘束される酒蔵の仕事は楽ではありません。杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと※蔵で働くスタッフ)は酒作りの10月から4月の稼働期は、半年間休みがありませんでした。もちろん労働基準法には則っていますが、そう言った部分へのネガティブな声はとても多かったです。


醸造風景 蔵人の手によって日本酒が生まれる

伊藤)想像以上に大変なんですね…

山本)はい昔は泊まり込みで24時間勤務が当たり前でしたから…
麹の管理や酵母の管理もあるのでそこまで多くの休みを取ることはできませんが、それでも月最低5日は休んでもらうなど、労働条件の改善からはじめました。日本の多くの酒蔵は必要な時期だけ従業員を雇う「季節労働雇用」ですが私が戻ってからは「通年雇用」に切り替え「社員」として採用することにしました。

伊藤)採用活動などはどうされていたんですか?

山本)当初人材採用は、地元でハローワークでの採用活動を行なっていました。しかし、目標もなくとりあえず地元で正社員採用してくれるなどの消極的な選択で入ってくる人が多く、モチベーションも低いので、採用してもやめていく人が多かったです。

そこで優秀な人材を採用できれば状況が変わると思い、東京の人材系会社で募集を開始しました。募集の切り口を変え、優秀な大卒者が採用できるようにハローワークではなく伝統産業の面白さを売りにマイナビで求人かけました。結果として二千人以上の応募がありました。

結果、日本酒を変えていこうというやる気に溢れた優秀な人を採用することができました。同じモチベーションで、一緒に日本酒業界を変えていけるとその時は思っていました。それを3~4年続けました。しかし、採用した人たちは半年~1年で日本酒が嫌いになってやめていったのです。二度と日本酒に関わる仕事はしない、日本酒が嫌いになったといって辞めていく従業員。最悪の状況でした。

何故こんなことになってしまったのか…私は、平和酒造全体の組織改革が必要と感じるようになりました。

伊藤)具体的には何を変えていったのですか?

山本)蔵の設備もそうですし、仕事のやり方なども徐々に変えていきました。昔、酒蔵はブラックボックスと言われ経営者でさえ立ち入れない神聖な場所でした。外からはわからない変化かもしれませんが、ブラックボックスのない「蔵元と杜氏の新しい関係」をめざしました。また福利厚生なども、考え直しました。社員の信用作りや福利厚生を充実させるのは、全ていい酒を造るために繋がると考えるからです。

伊藤)全てを変えるのにどれくらいの時間がかかったんですか?

山本)一気に何年で変えましたというより、徐々に変わっていったところが大きいです。今でも変化していますよ。気持ちを揃えることが何より大切な職種なので、従業員全員の方向性を揃えていくことには特に気を使っています。それにうちの場合は新卒のみでやってきたので。

伊藤)酒蔵さんでは斬新ですよね。

山本)そこは面白いモデルにはなったとは思います。

平和酒造で働くみなさん

生き残りをかけて、日本ブランドを世界へ

伊藤)日本国内のマーケットは飽和状態なところがあると思いますが、どのような戦略を考えられていますか? 

山本)まずは、いままで日本酒を飲まなかった、2・30代の若い世代や女性の需要を拡大することです。そういった層の開拓が今後の日本酒業界を盛り立てるためには不可欠だと思っています。その世代が今後の需要拡大の鍵を握っているんです。「日本酒についてのうんちく語られても…」と思っている人たちにこそ日本酒をのんでもらいたい!

そのために大切なのが、多くの人に日本酒の味を知ってもらうということです。そのためのプロモーションは積極的に行なっています。具体的には日本酒のイベントを仕掛けたり、SNSでの発信などですね。「Aoyama Sake Flea」(※全国の人気酒蔵が出店する日本酒マーケット。今年は3月31日、4月1日に行われた)などの活動も行なっています。 

日本酒業界でイケているところにはどんどん食い込んでいって、「イケてるでしょ?」感を出していくことも大切なプロモーションです。最近は堀江貴文さんなんかともイベントをやったりしていますよ。ただ、 マーケットを日本国内だけで展開していくにはやはり限界があります。現在、世界でも日本酒の酒蔵が増えてきています。しかし、自分たちの方がもっと美味い酒を造ることができる。だからこそ、その市場に勝負したいんです。

荒波だろうがいい波だろうがそれを乗り越えていくのが好きなので新たな市場をどんどん開拓しています

伊藤)海外の方は日本酒を飲んだことない人も多いと思いますが嗜好の壁は感じますか?

山本)日本酒の場合はあまりなかったですね。食の世界の壁は狭まってきているので。今ではインドの本格カレーは日本でも当たり前ですが、浸透したのはここ15年くらいの話です。どんどん食がボーダーレスになっていっているんです。日本酒をブランドとしてしっかり確立して行けばかなり市場を広げることができると考えています。

伊藤)日本酒をブランディングしていくということですね。

山)はい。フランスのワインの地名がブランドになっているように、平和酒造の酒をブランディングして世界中に広めていくことが今後とても重要だと考えています。それがうまくできると一気に世界に広がっていくと思うんです。

期待される世代からの卒業~40代に向けて考えること

伊藤)僕は病気をしたことがきっかけで会社を作りました。それもあって基本的に時間はマイナスで捉えています。時間は限られている。それはみなさん共通です。

山本)経営者の中でそういう感覚を持っているひとは極めて少ないですよね。サラリーマン的な感覚で自営業の中小企業を経営している人が多い気がします。月曜日が来たら憂鬱に感じるのではなく、逆に沸き立つくらいでないと。

山本)伊藤さんはおいくつになられたんですか?

伊藤)今31歳です。まだまだ自分には可能性はいくらでもあると思っていて、まだ総理大臣になれると本気で思っています!

山本)そうですね!まだまだ可能性はいくらでもありますよね。私には就職する前から決めていた20代、30代、40代ごとの人生のフェーズがあります。20代、30代はとても良い期間で、若いというだけで期待をしてもらえます。今、私は39歳。もうすぐ40代を迎えます。期待される世代を卒業し、40代は環境も見られ方も大きく変わります。また人脈の展開の仕方が変わるとも思っています。

2・30代は自分が何をすべきなのかを模索することができる期間です。私にも日本酒を作る以外の選択も大いにありました。それこそ飲食への展開や宿泊への展開も考えられました。しかし、40代から新たに展開して成功するのは難しいのではないかと思います。40代は今まで培ったものでこれからどんな花を咲かせるかを考えていくことが必要になるのだと思っています。

日本の文化・伝統を世界へ!めざせ、ものづくりの理想郷

伊藤)僕は起業家で経営者ですが、山本さんご自身は経営者ですか?それとも職人としての側面が強いですか?

山本)職人というよりゼネラルマネジャーとしての立場にいます。プレイヤーが活躍できるようにするために必要なことを考えることが私の役割だと思っています。以前、父にフォークリフトの練習をしろと言われたことがありました。しかし、それは私の仕事ではないのでやるつもりはありません。それができないことは恥でもなんでもありません。 私は自分を職人だとは思いませんが、ものづくりに関してはよくわかっています。現場も見ていますし把握しています。全体像を把握した上で実務的な部分は職人に任せるというスタンスですね。

伊藤)僕も日本のプレゼンスを世界の中で相対的に高めたいという思いはあって。山本さんがやっていることはそういう面でとてもダイレクトですよね。

山本)それは市場の特性も大きいですね。伝統産業なので文化を守っていきたいという気持ちは強いです。自分で起業して新しい事業を立ち上げるという選択もありましたが、 私はそれを選択しませんでした。私が酒作りを選んだ理由は実家が酒蔵だったからなんですよね。そうでなければものづくりや伝統産業は選択しなかったと思います。

目指すはかっこいい「ものづくり」

伊藤)最後に山本さんが目指される今後の平和酒造は?

山本)平和酒造に集まる人は「ものつくり思考」の若者たちです。「ものづくりをしたい」「日本酒造りはかっこいい」と思ってくれる若者が、数は少なかもしれませんが必ずいます!そういう人たちと、日本酒造りを通した文化や伝統の発信をしながら平和酒造をものづくりの理想郷にしていきたいです

プロフィール

山本典正

山本典正

1978年生まれ、和歌山県出身。
東京のベンチャー企業を経て、2004年に平和酒造へ入社。
それまでの廉価な大量消費のためのお酒ではなく、日々の人生に豊かな彩りを添えられる
お酒を届けたいとの想いから「紀土」「鶴梅」を立ち上げ。
近年ではクラフトビール「平和クラフト」の発売も開始。
和歌山の柔らかできれいな水を活かした「紀土」「平和クラフト」は、
お酒が苦手という方にもお酒の魅力を知ってもらいたいという、強い願いを込めている。
また、斜陽産業と言われる酒造業界において新風をふかせるべく、
若い蔵人の育成にも力を注いでいる。
酒造りへの情熱を胸に秘めた平均年齢30歳の若い醸造家達とともに、
伝統と革新をもって酒造りを行う一方、日本酒の魅力を伝える活動を行う。


伊藤 健太

伊藤 健太

中卒ながらもとても頭の良い父と、少しグレていたけど人の王道を教えてくれた母親のもと、1986年11月21日生まれ。

慶應義塾大学3年時にリクルート主催のビジネスコンテストで優勝し、23歳の時に病気をきっかけに小学校親友4名、資本金5万円で起業。

起業当初お金がなさすぎて、カードで借金生活を送る。お金がなかったため、知恵を絞った伊藤独自のマーケティング手法を多数考案。

8年間で、累計10,000件を超える起業、起業家のアクセラレーションに関わるようになり、日本屈指の起業支援の会社と言われるまでに成長。

月間20万人以上の商売人をお助けしているポータルサイト「助っ人」や全国500人以上の商売人が参加している、世界で一番お客様を喜ばす商売人輩出のアクセラレーションコミュニティー「チャレンジャーズ」を主宰。

2016年末に、世界経済フォーラム(ダボス会議)の若手リーダーとして日本代表に選抜。
全国の小中高校への出前授業や、次世代の教育の在り方を問うシンポジウムなどを開催。

最近では、地方自治体の首長からご指名をいただき、起業家の力で地方にイノベーションを起こすべく、徳島県美馬市、熊本県人吉市、三重県伊勢市、千葉県銚子市などと取組を開始。


元LINE社長の森川亮氏推薦の「起業家のためのマーケティングバイブル」など著書5冊。
NHK、日経新聞、エコノミスト、夕刊フジ、日刊工業新聞、CCTVなどメディア出演多数。


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