投資家のアドバイスで高まったコミットメント~残金30万から営業利益1億円~

ポイント
  1. 初めての会社も上手くは行かず苦渋を舐めさせられるも経験としてプラスへ
  2. 確証を得れない道なら試すのもあり。
  3. 目標を常に確かめて見失わないようにする。

最初の起業は3年で解散へ

助っ人編集部  

株式会社ウェイビーです。よろしくお願い致します!まずは起業のきっかけについて教えてください。

芦川氏  

僕の場合、環境的要因が大きいです。父親が医者で病院を経営していて。それで経営に興味があったのかと。でも、医者は職人です。自分には合わないと思いました。

また、別のところでお世話になっている人がいて、その人が中学校向けの塾を作り、東証一部の上場までしていて。僕が小学生の頃でしょうか。だから、起業するのは当たり前というマインドでした。その人の息子さんも経営者で、日米同時上場をはたしています。

助っ人編集部  

起業を決意したのはいつですか?

芦川氏  

二十歳です。大学2年の時ですね。やるなら早い時期から始めたほうがいいと思い、大学時代に東大と東工大の仲間と最初の会社を作りました。中学時代から慶應の仲間と多くの時間を過ごしていたので、大学では新しいコミュニティに参加して見聞を広めようと思い、東大のゼミ・サークル等、各方面に足を運び色々な人に会う努力をしました。

もともと大きなマーケットで勝負するより、小さくてもいいからナンバー1、オンリー1になって勝つイメージをもっていました。だからインターネットに固執せず、面白い市場があればそこで勝負する感じです。

助っ人編集部  

最初の会社はどうでしたか?

芦川氏  

3年で解散しました。23歳のことです。ネガティブな解散でした。でもいい経験になりました。若くして成功するより、苦汁をなめて成功したほうが強くなれると考えるようになったので。とてもプラスの経験になりました!

2社目の起業「ハッピーズ」の創業期

助っ人編集部  

2社目の会社が現在のハッピーズですね。創業後について、順を追って教えてください。

芦川氏  

1年目は、ひたすらお金を稼ぐこと(生きること)を目標にしていました。スタートは3人です。ただ、売上がたつまでに1年ぐらいかかりました。僕らは受託を一切しなかったので。そこのポリシーは結構強かったと思います。

たしかに、営業すれば受託はとれたはずです。でもやらなかった。だから大変でした。自社サービスオンリーで突っ走ったのです。

普通、ベンチャーって、受託で食いつなぐことが多いですよね。ただし僕らには変なプライドがあった。頭下げるのも嫌でしたし。それで最初の1年目は苦労しましたね。

500万円の資本金で始めたのですが、およそ1年後には残金30万円になってしまいました。

助っ人編集部  

2年目はどうでしたか?

芦川氏  

2年目のキーワードは「大企業」です。つまり大企業の予算をもらえるようになりました。ただ、あくまでも受託だったので、あまり嬉しくはなかったですね。仕方ないからやるといった感じで。

事業内容としては、ゴルフ場にゴルファーを送客して手数料をもらうサービスです。2期目はその事業をしていました。

ただ、大企業から予算をもらったとしても、レギュレーションが苦しかったり、オペレーションが大変だったりと、苦労の連続でした。やはり、受託モデルはうまくいかない。粗利があがりません。だから良しとはしなかったのです。

そう考えると、2期目は食いつなぎのステージでした。受託という負の連鎖に入り込まないよう、いろいろなことにも挑戦していましたね。人数も5人にまで増やしました。マイナビバイトで募集して。(お金がない時にマイナビに出稿するのは勇気がいるものです・・・)

助っ人編集部  

3期目はいかがですか?

芦川氏  

3期目には、自社サービスがヒットしました。あるメディアです。そこからは、会社としてメディア運営にカジをきろうと決意しました。メディアに参入したのもたまたまです。みんなで勉強していて、アイデアを元にサイトを作っていると、「これ、いけるかもしれない!」と。メディア運営にカジをきってからは、走りやすくなりました。短期、中期、長期の計画を作り、必要な人材やお金も試算できるようになりましたし。

ただ、1期目や2期目のようなわいわい感はなくなりました。寝食は共にしているけど、オフィスに泊まらなくなるとか。「明日、営業だから家に帰ろう」みたいな。ベンチャー感がちょっと薄れたと思います。

でも、いい意味で会社っぽくなった。アルバイトの方が来ても、それなりの体裁を保てるようになりましたね。労働条件などにも気をつけています。残業はさせないなど、徹底しています。

ナンバー2が会社を辞める

助っ人編集部  

4期目はどうでしたか?

芦川氏  

4期目は、あまりにみんなを自由にさせてしまっていたので、トラブルが起きました。基本的に、お金稼いでいれば何でもオッケーにしていたのです。それでナンバー2が辞めてしまいました。お金ばかりを追い求めていたので、チームが崩れてしまったのです。ビジョンなく旗振りをしていた経営責任を痛感しました。

助っ人編集部  

現在の状況はいかがですか?

芦川氏  

PL上では、来期に1~2億円の利益を出すことを目標です。

あとは、その利益をどうやって生み出すか。投資家の方が道筋をつけてくれていることもあり、論理だてて数字を決めています。投資家の方からいただくアドバイスはとても参考になります。

弊社では、現場の人間が追っているのは売上総利益だけです。人件費や間接費などは、すべて僕が握っています。現場は売上原価だけを追っている状況なので、粗利をどのぐらい高く出せるかにコミットしています。そうすれば、必然的にボトムアップできます。

現在の課題としては、組織づくりですね。とくに営業チームの構築です。“売れる商材”があるのでチームとして仕組みを作り、拡大していきたいと思っています。メディア事業は、愚直にやるだけです。

「旗振り役」を終え、ビジョンと志の創造者へ

助っ人編集部  

4期終えて、社長としての役割は変わりましたか?

芦川氏  

最初の1~2年は、社長として旗を振っていました。「これをやろう!」「こう行くぞ!」というように。それが3期目ぐらいから、そんなに頑張って働かなくてもいいのかな、と勘違いしていました。。。

また、目標や志も当時はなかったのです。お金だけ、つまり自己の利益だけ追及していても、まわりは付いてきてくれないことが分かりました。だから今年は、この5年~10年後の会社の目標、ビジョンと志を、会社としてアウトプットするように努力しています。

助っ人編集部  

社長としての課題についてはいかがですか?

芦川氏  

今まで以上にちゃんと現場に入ることです。現場に入らないと、誰に何の仕事をどうやって任せていいかわからない。しっかりと組織で戦えるようにチーム作りをしていきます。

あとは、お金以外の目標ですね。仕事に対してより強くコミットメントしてもらうために、ビジョンや志をもとにした目標を作っています。

結局、お金だけが目的だと辞めてしまう。でも、働きがいのようなものを与えられれば、気持ち良く仕事をしてもらえます。楽しい職場を提供することも、社長の仕事だと思っていますので。

助っ人編集部  

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

芦川氏  

後悔しないように、挑戦したほうがいいと思います。たとえ頑張って働いていても、本当にその道が正しいのかどうか、確かめてみる価値はあると思います。

「自分の目標はなんだろう」「自分は何のために働いているんだろう」と、とことん考えてみること。そこで見出されたものに挑戦し続ける。それが大切だと思います。

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著者プロフィール

伊藤 健太

伊藤 健太

慶應大卒業後、23歳の時に病気をきっかけに小学校親友4名、 資本金5万円で起業。 お金がなかったため、知恵を絞った伊藤独自のマーケティング手法を多数考案。 8年間で、累計10,000件を超える起業・その後の事業支援に関わり、 全国、北海道~沖縄までコンサル先累計500社超を抱えるまでに成長。 全然売れていない(月商0-100万円)小さい会社や個人事業主の売上を 数か月~2年の間で、年商数千万円~10億円を超えるところまでに持ち上げた実績でいえば 国内でも間違いなくトップクラス。  2016年末に、世界経済フォーラム(ダボス会議)の若手リーダーとして日本代表に選抜。 2018年9月1日より、徳島大学客員教授にも就任。元LINE社長の森川亮氏推薦の「起業家のためのマーケティングバイブル」など著書5冊 NHK、日経新聞、エコノミスト、夕刊フジ、日刊工業新聞、CCTVなどメディア出演多数。

芦川 泰彰

芦川 泰彰

株式会社ハッピーズ 代表取締役 1987年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。在学中に友人とITベンチャー創業。資本金4億円・従業員50名のベンチャー企業に成長するが会社を精算。2回目のスタートアップとして、2011年に(株)ハッピーズ創業。インターネットメディア事業中心に展開し2020年の株式公開を目標に邁進中。