手作り仲間と羽ばたきたい!!!誰かのママ、誰かの奥さんで終わらないためにチャレンジします。【第1回】法人設立までの経緯

ポイント
  1. 父の影響が大きく、二人三脚でこれからを見据えていた。
  2. 大事な存在の父が倒れてしまい、変わった環境で虚しさを感じ始める。
  3. 今までを払拭させるために自分にあるチャンスを全て利用する。

目次 [非表示]

はじめまして!

 

大阪在住の坂本瑞穂(みほ)と申します。この記事を書かせていただく2日前に教室をオープンしたところで、まさしくスタートしたところです。さて、連載後にはどうなっているやら。よろしくお願いいたします。

父の存在が大きかった幼少期

父はカラオケ採点機の特許を取って世に出し、一世風靡しました。そんな父は私の自慢であり、憧れでした。

 

ですが、父はいつも孤独そうでした。従業員の入れ替わりも激しく、取引先に裏切られたこともあったようです。「俺は一匹狼でいいんや。」が口癖でした。そんな父の希望で「法学を学び、俺のそばで働いてほしい」と法学部に進学。ワーキングウーマン(その当時はそう呼ばれていました)になるんだと夢大きく大学に通っていました。

 

でも、○○さんのお嬢ちゃんだったんですよね。

 

私を評価してもらっているのじゃないけれど、尊敬する父の娘でもいいっか。

このまま世界に父と羽ばたくんだと信じていました。

 

それが、大学3年の夏、父がくも膜下出血で倒れたのです。

 

ワンマン社長でしたから、会社はパニックです。家族もどうしたらいいのか、ただ、ただ、父の回復を待つばかりでした。残念ながら父は回復せず、25年以上要介護5の状態です。話すこともできません。私を認識できているかも分かりません。ですが、奇跡が起きるのではないかと今でも心のどこかで期待している自分がいます。

結婚して妻に、そして母に

「お父さんの看病も大事だけれど、自分の人生を考えなさい。」と助言をうけ、お見合いで結婚しました。妻となり、母となり、ママ友もたくさんできて、それはそれでとても楽しい生活を送っていました。

 

でも、○○さんの奥さん、○○ちゃんのママだったんですよね。

 

どことなく虚しさを拭いきれませんでした。

 

ある日、役所からの書類で、主人の名前と子供の名前は印刷されているのに母の欄は自分で書くようになっているものが送られてきました。子供に関する書類でしたが、それはかなり衝撃で妻や母の社会的認識はそんなものか!と憤りを感じ、私個人の存在意義は何か頭から離れなくなりました。

 

父ほど世の中に影響力を与えることはできなくても、私なりにできることはないだろうかと。

目の前に来たことをチャンスだと思って動こう

何かできないだろうかと思っているだけなので、漠然としすぎてあれもこれも目移りしてしまって、、、。とりあえず、目の前に来たことはチャンスだと思って動いてみようとご縁があったオランダの国際フラワーライセンスDFAダッチディプロマを取得しました。

 

その後、花の師匠のもとで専門学校のフラワー講師のアシスタントとして、厚生労働省の求職者支援制度のプリザーブドフラワーとフェイクスイーツの講師として実績を積ませていただきました。

 

ブログでもそんなことを書かせていただいていると、ホームページ作成会社から連絡がありました。「ショップを作りませんか?教えていらっしゃるフェイクスイーツ売れますよ」

 

普通ならお断りする案件だと思いますが、なんかご縁かもしれないなと感じたのです。結果は英国老舗食器メーカーからの百貨店ディスプレイ用、化粧品会社のポスター用、ドラマの小道具用、結婚式場紹介雑誌の撮影用、1年に一回くらいそんなラッキーな注文をいただきますが、鳴かず飛ばずってところで、、、

 

主婦業のあまりの時間では結果は出せないな。これは本当に真剣にやろう!

このまま○○さんの、、、で終わりたくない!

 

自分を追い込むために法人を立ち上げようと決意したのです。

 

つづく
手作り仲間と羽ばたきたい!!!誰かのママ、誰かの奥さんで終わらないためにチャレンジします。【第2回】塾との出会い

登録することで、 利用規約・プライバシーポリシーに 同意したものと見なされます。

関連記事