「彼らの生産性、彼らの価値を飛躍的に上げたい」~ベトナムのIT人材を育てる起業家の想いとは~

ポイント
  1. 勢いで手を挙げたベトナム行き
  2. ベトナム生活、今と昔

勢いで手を挙げたベトナム行き

伊藤  

ベトナムで働き始めた時期と経緯について簡単に教えてください。

櫻井氏  

ベトナムに来たのは2009年、29歳のときです。2007年に、弊社の親会社である、東京恵比寿にあるバイタリフィ(http://vitalify.jp/)に入社しました。私は、もともとはサーバーやインフラのエンジニアで、その後はソフトウェアのエンジニアとして働いていました

ちょうど私がバイタリフィに入社して2年が経った頃、エンジニア不足と、たまたまベトナムから撤退しようとしている日系のWeb系開発会社があったことで、その会社を買収する形でベトナムに進出することになり、そこで「私が行きます」と手を挙げました。

海外志向は全くありませんでした。埼玉生まれですぐに東京に出て来ており、東京が人生の終着地点で、東京でなんとか成功しないといけないのだと思いこんでおり、海外で働くことは想像もしたことがなかったです。

東京で成功するために日々業務に追われながら新規サービスの開発や今考えると浅はかな起業の準備などを行っていました、ただエンジニアとしても未熟でビジネスマンとしては素人だった自分がどんなに熟考しても、既に活躍している起業家の方と自分との大き過ぎる差を知るだけで、悶々とした日々を過ごしていました。

そんなときにベトナムの話があり、まずは3日間視察ということだったので、とりあえず行こうと思いました。初めてのベトナムで、ベトナムについてはベトナム戦争のイメージ程度しか持っていませんでしたが、実際に来てみるとそこで働くエンジニアたちやホーチミンの街を見て衝撃を受けました。

伊藤  

ベトナムでどのような衝撃を受けたのでしょうか?

櫻井氏  

エンジニアは皆若く、英語は当然のように理解し、日本語も話せる。かつ、大学はベトナムでトップレベルの大学でIT技術を勉強して来た人たち(当時ベトナムの大学進学率は20%以下)、それでも給与は自分の数分の1。自分とは全く異なる環境の人たちがITエンジニアをやっているんだなと驚きました。

またベトナムの街や人々も一瞬で好きになりました。バイクの群衆、幸せそうで楽しそうな人々、人口密集度は高いですが、全く息苦しさがなく、活気に満ちており、ベトナム料理も美味しく、普通にベトナム人に間違われるなどものあり、親近感も感じました。 その数週間後には再びベトナムにいました

伊藤  

日本での起業も考えていた中で、なぜベトナム行きを決断できたんでしょうか?

櫻井氏  

やっぱり勢いしかないです。日本でずっと悶々としていた自分は、かなり視野が狭かったと思います。ベトナムに来てみて、一気に世界が広がったと思います。それと、自分はどこにでも住めるなということをベトナムに来て知りました。

当時は今以上に物価が安くて、住もうと思えば月2万円でも生きていける。

実際に来た当初はほぼ会社におり、ご飯もローカルしか食べていなかったので2万円で生活していました。ベトナムに限らず東南アジア近辺に住み、最低限の仕事を、日本人力を発揮して行えば余裕で生活していけるだろうと思いました。日本にいた頃は生活について常に不安だらけでしたが、ベトナムに来たことで、生活の不安や将来の不安が一気に吹っ飛び、希望ばかりが湧いてきました。自分はどこでもやっていけると。

伊藤  

当時、代表になるということまで想像できていましたか?

櫻井氏  

代表になりたいとは思っていました。ただし自分自身コミュニケーションが下手ですし、あまり経営者には向いていないのかなとも思っていたりで、代表になるとしてもまずは自分一人で会社を立ち上げた方が良いと考えていました。今思い返すと当時は楽な道を選ぼうと考えていただけな気もします。

日本にいるときはずっと広告向けのサービスや一般ユーザー向けのサービス開発に携わっており、自分が開発したサービスや技術を新聞/テレビ/雑誌などに載せて頂くことがありました。技術を使って面白い便利なサービス作り、話題になって、みんなが使う、それが楽しくてエンジニアをやっていたところがありました。

昔からこっそりと小ネタを準備して、人をちょっと驚かせる(楽しませる)、善意あるいたずら的なことが好きで、そこが開発を続けて来た原点な気がします。

ただ、ベトナムに来てからは、マネージメントを覚える、経営を覚える、ということに精一杯。経営者としてまだまだちゃんとできているかは分からないですけど、体制もできてきて、まさにこれから成長していくところ。昔とは違い仲間も沢山いて、色々な手法を取捨選択出来るようになり、これからが自分が会社の代表としてやりたいことをやっていけると考えています。

エンジニアからマネージメントへ

伊藤  

こちらに来て、まずはどんなお仕事をされたんですか?

櫻井氏  

ベトナムに来る前は、私がお客さんの対応から実装・テスト、サーバー周りなどを広く対応するようなエンジニアでした。ベトナム行きが決まった頃も仕事が増えている時期で、すごく忙しかったです。当時は一人で対応する案件が多かったこともあり、面白い案件であれば自身のリソースはあまり気にせず案件をいくつも抱え、寝る時間以外は開発しているようなエンジニアでした。

そういう状況で私が日本でやっていたような案件3つを持ってベトナムに来て、一つは自分でやって、残りをベトナム人スタッフたちに丸投げする形で始めました。ところが、全くうまくいかなかった。

自分自身も開発者として案件を進め、残りの2チームも同じように進めていると思っていたんですが、いざ納品間近になって、2チームの進捗を確認したら全然進んでいなかった。そもそも仕様を全く理解していない。不明点を聞いてくることもなかった。仕方なくその2つは自分が巻き取って、1から作り直したりと、組織としてはかなり酷い状態でした。

伊藤  

それからどうしたんですか?

櫻井氏  

はじめの数ヶ月は案件を受けてしまっているので、開発体制改善云々よりもとにかく目の前の案件を進めなきゃいけない。ひと段落した頃、当時の上司から、「櫻井はプログラミングはやめなさい、お前が実装してたらだめだよ」と言われて。そこで、私が要件を受けて、それを現場に指示し、進捗や実装内容を確認するというようなPMの役割を行うようになっていきました。

それでもすぐには満足の行く対応は行えず、激務が続き、スタッフは離脱していきました。ただし一部のスタッフは「櫻井さんのようになりたい」「日本人のように働けるようになりたい」と言ってついてきてくれました。

トップレベル大学で技術を学び、英語も日本語も話せる若いエンジニア達でも、当時の自分と比べるとITエンジニアとして総合的に見て10倍近い生産性の差があったと思いますが、自分には解けない数学や物理学を簡単に解き、正しく理解し納得した内容は素早く正確に実装出来、3ヶ国語、4ヶ国語を話せるベトナム人エンジニア。

そんなエンジニアが何十万人といて、当時のベトナムの平均年齢は27歳、これから毎年何万人もエンジニアが排出されていくという状況の中で、自分がこの国で価値を出せることは自分の中途半端な知識や技術力ではなく、もっと別のものだという実感が持て、自身がエンジニアでいることを辞めました。

ちょうどその頃にiPhone/Androidが普及しだし、もともとコンシューマユーザ向けのエンターテインメント系の開発が得意でしたので、迷わずスマホアプリの開発を始め、当時スマホアプリ開発のエンジニアはベトナムにいなかったので、自社でのトレーニングを行いました。2010年ころにスマートフォンアプリ開発の引き合いが増え、ベトナムオフショアブームも相まって、毎年倍々でスタッフが増えて行きました。

伊藤  

そのとき櫻井さんはどのようなお仕事をされていましたか?

櫻井氏  

そのときは、全案件の俯瞰管理を行うようなマネージャーです。私自身が直接進行管理をするというよりも、PMOというかたちで、複数案件の立ち上げや、進捗の管理、課題管理を行うような仕事をしていました。

2012年頃にGMに昇格したんですが、当時、経営なんて全然分からなかったので、相変わらず現場管理と改善に没頭していました。その後急激な円安が来て現場がどんどん案件を回しているのに利益がどんどん減っていき、その責任がGMである自分の責任であるという状況を初めて理解し「GMの重要な仕事は現場管理ではなく、売上を上げること、利益を上げること、その仕組を作りや適切な人員を配置すること、プレイヤーではないことなどなど」を理解しだし経費や利益の詳細、営業について意識するようになっていきました。

エンジニアを止めた時以上に仕事の内容が変化していき、経営者としての奮闘が始まりました。2015年より日本本社と兼任していたグループ代表から引き継ぐ形で代表に就任しました。

伊藤  

今後のオフョア開発について教えてください。

櫻井氏  

今でも日本からの開発案件の発注先としてベトナムが最有力国であり、これから更に開発人材も増え、開発体制が整った会社が増えて来ることもあり、今まで以上に日本や世界各国からの引き合いが増えて行くと考えています。

ホーチミン市を起点に始まったベトナムオフショアブーム。一時期は人件費の安さからハノイやダナンに出される企業様が増えましたが、その後更に安い新興国にブームが移動することはなく、現在もホーチミン市への案件引き合いや進出が増えています。

特に弊社が得意とするクリエイティビティを必要とするような開発はホーチミン市が最も適していると考えており、かつ人材排出量が最も多いこともあり、オフショア開発だけではなく、ベトナムマーケットを対象にした日系のWebサービスもどんどんベトナムに進出してきており、年々熱さを増しています。

今後はベトナムにある会社にシステム開発を発注することや、ベトナム人のエンジニアが日本で働くことが普通になっていくのではないかと思います。

ベトナム生活、今と昔

伊藤  

ベトナム生活も約8年。生活環境はどうですか?以前と変化はありますか?

櫻井氏  

街の様子は日々ものすごいスピードで変化していっています。

8年前はなかった高層ビルがどんどん立ち、自家用車が急増し、若者の服装が変わり、イオンモールや高島屋などの大型店舗も複数店舗出来き、有名な外食チェーンも至る所に進出しており、もうすぐ電車も走り出します。以前は新しい店を見つけては視察に行くのが楽しみだったのですが、最近は早過ぎ多すぎで追えなくなりました。

生活の環境は非常に快適です。住むところは日本よりも2,3倍広い部屋に住めますし、プール、ジム、映画館、大型スーパーなどが入ったマンションに住んでいます。掃除、洗濯、食材の買い出しなど全部お手伝いさんにお願いできる。でも、居住費は日本より安い。かつ通勤時間もドアツードアで30分以内です。

また、食べ物に困ることもないです。普段外ではベトナムのローカルのご飯を食べることが多いですが、日本料理がかなり充実しています。ホーチミンが東南アジアで1番日本料理が充実しているそうです。その他の各国の料理もレベルの高い専門店が沢山あるため、食べ物には困らない。もちろん人によって感じ方は違うと思いますが自分に取っては東京に住んでいたときよりも快適です。

ベトナムのIT人材を育てたい

伊藤  

今後はどのようにしていきたいと考えていらっしゃいますか?

櫻井氏  

ベトナムという国は、国を挙げてIT人材育成を進めていて、世界中からベトナムに対する開発人材のニーズが高まっている。そのど真ん中で仕事をさせて頂いていることは本当にラッキーなことだと思っています。ただまだ日本やシリコンバレーのITに比べたらまだまだ出来ることは少ないです。

今ベトナムは急成長中で、エンジニアとしての給料もどんどん上がっていますが、実際の対応能力はそこまでまだ上がりきれていない状況です。彼らのベースにある能力は非常に高いし、英語もできる、日本語もできる。本当に真面目に勉強してきた人たち。

なのに、エンジニアとして彼らの能力がうまく機能していないことがよくある。私はそれが本当にもったいないと思っていて、彼らの生産性、彼らの価値を飛躍的に上げたいと思っています。日本を追い抜くまで行くとは思わないですが、少しでも近づけるよう彼らとともに成長していきたいと思っています。 うちの会社の中ですと月給2,500ドルぐらいまでのエンジニアしかいないのですが、日本のエンジニアだと月1万ドル稼ぐ人もいれば2万ドル稼ぎ、それだけの生産性を出している人もいる。シリコンバレーに行ったらもっとすごい世界がありますよね。

ベトナム人のエンジニアでも「彼らにちょっとでも近づいたら、エンジニアとして価値は今の2倍3倍になるポテンシャルがあるのに、なぜそうなろうとしない?」「今のスタイルで仕事をしても給与は頭打ちになってしまうし、若い人に負けてしまう」そういったことに危機感を持たせ、今までとは違う努力のしかたを考えさせ、飛び抜けたエンジニアを輩出したいと考えています。願わくば、うちの会社からスター級エンジニアを沢山排出し、ベトナムの若いエンジニアたちが彼らを目指していくような状態になってほしいなと思っています。

10年後、20年後がどうなっているかは正直わかりませんが、ベトナムが世界中の開発案件を対応できる優秀なITエンジニアが世界一集まっている国になり、ベトナム発の世界サービスがどんどん生まれて行き、IT大国ベトナムと呼ばれる日を夢見ています。

それを見届ける希望がある限りベトナムで奮闘し、微力ながら少しでもベトナムITの発展に貢献し、結果日本の発展に貢献していきたいと思っています。

それが自分の成長と、自分が本当にやりたいことの達成につながると思いますので。

伊藤  

最後に、海外でチャレンジしたいと思っている若者たちにメッセージをお願いします。

櫻井氏  

既に海外でチャレンジしたいと思っている若者の時点で、私よりも素晴らしい人ですので、私がアドバイスするなど烏滸がましいのですが。

言えることとしましては月並みではありますが。

興味があるのであれば、まずは飛び込んでみた方がいいと思います。事前にいっぱい調べて考えるよりも、数日でも来てしまった方が早い。まさに「百聞は一見にしかず」。来てみて自分に合わないのであれば、実は合わなかったことを早く知れてラッキーですし。

日本でくすぶっているとか、長く考え込み続けるのであれば、1日でも2日でもいいから、まず1度来てみることをオススメします。多分考えたことと違う発見もあれば、逆に考えていたことが確信に変わることもあるかと思います。

最後に、私はよく「櫻井の特技はタフさとラッキー」と言われるんですが、なにがあってもどんな状況でも倒れず逃げず続けてこられました。昔はあまり意識していませんでしたが、上手く精神と肉体のバランスをギリギリのところで取って来たのかもしれません。 今は意識してバランスを取る努力をしていると思います。

肉体的にハードな長時間労働を行うのであれば精神は健康を保てるようにし、精神的に追い込まれるようなときは、ランニングや筋トレをするとか。

精神と肉体の健康を維持し、どんな仕事でも未来に希望があるかぎり真摯に続けて行くことで、来たるチャンスを運良くつかめるのではないかと信じています。

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著者プロフィール

伊藤 健太

伊藤 健太

慶應大卒業後、23歳の時に病気をきっかけに小学校親友4名、 資本金5万円で起業。 お金がなかったため、知恵を絞った伊藤独自のマーケティング手法を多数考案。 8年間で、累計10,000件を超える起業・その後の事業支援に関わり、 全国、北海道~沖縄までコンサル先累計500社超を抱えるまでに成長。 全然売れていない(月商0-100万円)小さい会社や個人事業主の売上を 数か月~2年の間で、年商数千万円~10億円を超えるところまでに持ち上げた実績でいえば 国内でも間違いなくトップクラス。  2016年末に、世界経済フォーラム(ダボス会議)の若手リーダーとして日本代表に選抜。 2018年9月1日より、徳島大学客員教授にも就任。元LINE社長の森川亮氏推薦の「起業家のためのマーケティングバイブル」など著書5冊 NHK、日経新聞、エコノミスト、夕刊フジ、日刊工業新聞、CCTVなどメディア出演多数。

櫻井 岳幸

櫻井 岳幸

Vitalify Asia Co.,Ltd. 社長 1980年5月26日生まれ アキバのパーツ屋、サーバ・ネットワークエンジニア、ソフトウェアエンジニアというオタクキャリアを経て、株式会社バイタリフィに入社。 エンジニア時代には画像処理/パターン認識などを得意とし、Webを利用したエンターテイメントの開発に従事。 2009年よりベトナム・ホーチミンへ移住しバイタリフィアジアの立ち上げに参加。現在は代表を務める。 ベトナム永住を覚悟し、ベトナム人エンジニアの能力向上とオタク化を目指し日々奮闘している。 <アプリ開発とベトナムオフショア開発> 株式会社バイタリフィ http://vitalify.jp/ Vitalify Asia Co.,Ltd. http://www.vitalify.asia/