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リスクを負い、人と違うことをし続ける

ポイント
  1. 自分の作品を世に知ってもらうには、マスメディアの力とお客様は何を求めているか、人と違うことをやっていくと事がキーワード
  2. 人と違うことをしていく事に必ず付きまとうのがリスクである
  3. 経営者になることが立派ではない。経営者と雇用者のどちらが自分に合っているかを選択ができる人が、一番凄い人である

目次 [非表示]

はじめまして、柴田でございます。

今ちょうど45歳になるのですが、いまだに厨房に入って、経営者として、職人としてやっています。職人と経営者を両立するのは非常に難しくて、僕の中でははっきり言って不可能に近いと思っていますが、周りからは『成功してるね』とかよく言われます。

ただ、僕の中では1度として成功しているとは思っていないですし、まだまだやることはたくさんあると思いながら、27年やっております。

もともとは岐阜の多治見で24歳のときに起業しました。お菓子屋さんとしても、飲食店としても21年前にその歳で店をもつのは相当珍しいんじゃないかなと思います。

理由は後程お話ししますけども、最初店をやってだいたい年商が1,2年で2千万ぐらいで、家賃が25万ぐらいだったので、相当苦しくていつ潰れてもおかしくない状況でやっていました。

ただその12年後には、名古屋市内の覚王山というところに2号店を出すまでに成長しました。その翌年から僕の中での転機というか、自分の経営者としての生活が始まっていきました。2号店を出した翌年にレストランを栄のほうに出しました。

レストランというのは、フレンチとイタリアンのフュージョンレストランです。通常お菓子屋さんがレストランなんかやらないので、日本の中でも相当珍しいんじゃないかと思います。さらにその翌年、僕が初めて海外に進出していくわけなんですけども、そんなこんなで現状、国内に4店舗、海外に10店舗あります。

起業していくということで重要なことは、夢をもって、明確にしていく、そういったところで、先ほども申し上げました通り24歳でお店を出すというのは非常に難しいです。実をいうと僕は、24歳でお店を出すという考え方は元々はなかったです。

これから、ぶっちゃけトークをしていきたいと思います。そのなかで起業していく、仕事をやっていく中で何かヒントになればいいなと思っています。

実はですね、高校を出てから、大阪のほうに行きまして、神戸行って、それからパリに行って、弱冠24歳でお店を出すことになるんですけども、最初はお店を出すというよりもケーキ屋さんで働くところを探していたんです。そしたらたまたま父親が「どうせ将来お店を出すんだったら不動産を見てこい」とまあ勉強して来いということで、不動産屋に行ったんです。そしたら不動産屋は、23、4の若い僕でも一応入ってくるのでお客だと思って、いろいろ物件を勧めてくるんです。

その中で僕は1ついいなと思った物件があって持って帰ったんですよ。その話を父親に出したら「すぐに店をだせ」っていうんですよ。僕は就職しようと考えていたので、こんなに若くて出せるの?と思ったんです。

その前にお店を任されている感じで仕事をさせてもらっていたこともあって、何となくこうやればいいとか、これやったらいけない、これやったらうまくいくとかは何となく勉強していました。その程度です。

とりあえず出店の計画を立てていくと、だいたい2千5百万ぐらいのコストがかかるということで、借入してやっていこうという段階までいきました。元々うちはサラリーマンの家庭だったのでお金にそんなに余裕があるわけではないと思っていたんですが、出店しろというぐらいだから実は結構お金を持っているんだと思うじゃないですか。そしたら父親がお金がないということを言い出して、いい加減なことを言うな、スタートしているのに支払いはどうするんだということになりました。すると実家を抵当に入れると言ったんです。

そしたら、2千5百万円の抵当権が付かないとなったんです。そしたら実家も抵当権に入れると父が言いました。そしたら、ちょっとまてよと。そこまでして俺は若い歳にやりたくないぞという風に思ってすごく喧嘩をしたんです。

おじさんやおばさんから毎日電話がかかってきました。「おまえは、うちの親の実家まで抵当に入れて商売がやりたいのか!」と。

俺はそこまでじゃないですよ。と言えませんでした。父親の面子もあるので1日何杯コーヒーとケーキが売れて何年後に返せるということを説明したんです。そんなにうまいこといくか?といわれました。

それで散々もめて、母親も土下座までして最終的に親の実家まで抵当に入れて借入してスタートしたんです。だから潰れてはいけない、返済しないといけないと必死でやったことが良かったかなと思います。

最終的に10年で返済のところを4年で返済しました。それまでは、給料は12、3万円でした。後は返済のほうに回していきました。ケーキの職人なのでなかなか事業とか、経理とかは素人です。それも全て独学でやりました。とにかくお客さんが来てほしい、じゃあどうすればいいか?そのためにはメディア戦略しないといけないとか色々考えました。

多治見から名古屋を見ると有名なケーキ屋さんがいくつかありました。そんなケーキ屋さんのケーキを食べながら『あまりおいしくないのになんでこんなにお客さんが入っているんだろう。やっぱり名古屋だからかな?地方都市ということで人口も違うし、多治見市とは全然違うよな』と思っていました。色んなメディアさんに紹介してほしいと思っていても、田舎でやっているケーキ屋なので取り上げてくれないんです。

当時地元の雑誌ですらなかなか取り上げてくれませんでした。じゃあ僕は何をしたかというと、いろんな雑誌に全部手紙を書いていきました。ケーキの内容と写真を入れて、テレビ局も含めて20社ぐらいに、取材してくださいというようなことをやり始めました。

たまたま2年目ぐらいに1社取材をしてもらいました。それが、僕はちょっと引き金になったんじゃないかと思います。それから遠方のお客さんが土日に来てくれるようになりました。更においしいものを作らなければだめだということで、いい素材、製法を守りながらやっていく、ということにこだわり続けました。たくさん売れるからたくさん作るではクオリティがおちてしまうからやらなかったのです。儲けようと無理をしてしまうと、手作りのものなのでクオリティが落ちてしまうんです。作れる分だけ一生懸命作っていこうと考えたのです。他人にできないことをやるためには、自分の睡眠時間、休み時間を削っていくというのが一番早いと考えました。

最初の店を出して5、6年経つと、パティシエというブームを百貨店が作りました。有名なパティシエを百貨店に呼んでイベントをやるのです。そんな時、名古屋の百貨店でのオファーがきました。

東京、神戸、横浜から有名なお菓子屋が集まりそこに出ていきました。名古屋の人は珍しくて、県外のブランドに行くんです。百貨店にこれだけ作ってくださいと言われて持っていくと、お客さんは多治見の店なので馬鹿にしている雰囲気でした。そのとき、エリアの名前だけでお客は判断するんだなと悲しくなりました。結局はおいしいものを作らなければならないと考えました。東京や関西から運ばれてくるお菓子は1日前の配達とかで来るので、焼き立てというのは難しい、ならできないことをやっていこう、やらないことをやっていこうと考えました。

20万円分のケーキを作って百貨店に持って行きましたが売れませんでした。東京の店とかは100万円ぐらい売っていました。悔しく思って裏の通路に行くと、どの店がいくら売り上げたが書いて貼ってあったんです。とても恥ずかしかったですが、お金にしなきゃいけなかったので、従業員の通路で3個で500円とかで売りました。

しかし、2・3年目になると、おいしいということで行列ができるようになりました。お客様は何を求めているか、人と違うことをやっていくということの大切さを学びました。

それから、2店舗目や、レストランを出すことをしました。レストランを出したのも、普通のパティシエがやらないこと、目立つことをやっていこうということをどんどん学んでいきました。尖って出ていくということは非常に勇気がいることです。馬鹿にされ、たたかれます。最初はかなりショックでした。

周りからは「どんだけ儲かっているんだ」と言われましたが、全部借金ですよ!利益全部を投資してやっていくというのが僕のスタイルでやっていました。他の人がやってることをやるって安心しますが埋もれていきます。

埋もれるということは商品やブランド、会社名が目立ってこないということです。ですから、目立つために何をすればいいのか、それは人と違うことをしていく。そうすると何が付きまとうかというとリスクです。いろんなリスクがあります。

労働力や金銭面のリスクなどたくさんあります。ですがリスクを取らないことには他社と差別化ができない。これは意外にみんながやらないことなんです。人がやっているからやれる、というのはたくさんありますが、長続きしないです。

うちは年商が下がったことがないです。最初は2千万円程度、現在は国内6億2千万、海外を入れると12億ほどのブランドに成長しています。そこまでいくと、どうやって尖っていくかということが大事なんです。

後はメディア戦略です。ITで簡単に情報が得られる今はソーシャルメディアの情報は強いですが、世界の中でも日本はまだまだ強くないです。逆に日本はまだテレビが強いです。なら私はテレビに出るにはどうしたらよいか?と考えます。

普通のケーキ屋はなかなか出れないですよね。何をするのかというと、たまたま知り合ったADさんに名刺をもらうと年賀状や挨拶状を全部書くんです。起業していくと最初は人を雇えないので全部自分でやらないといけないです。つながりを作っていく、それを絶対にやらないといけない。そんなことは、ほとんどのケーキ屋さんはやらないですよね。

メールでのご挨拶などは、BCCでやると失礼だからと全部個人でやるなど、注目を浴びるように人がやらないことをやる。人が作らないようなケーキを作っていくということです。うちの店に赤いケーキがあるのですが、これは印象的に狙って創りました。当時、赤いハートのケーキを作ることは凄く勇気がいることでした。

それはチョコレートに赤い着色料を使うんですね。着色料はカカオを使うので健康には問題ないのですが、色物を使うことはお客様が抵抗感を持ちますだけど、光るものを作っていくというところで勇気を振り絞ってやっていきました。

そうするとメディアさんがなんか違うことをやっているなと、ADさんが情報を仕入れにくるんです。するとちょっとずつメディアの本数が増えていくわけです。もちろん、お金を払えば、テレビやCMできたりしますけど、普通の中小企業はできませんよね。

そこで、無料で取材してもらうためにはどうすればいいかっていうことを常に考えながらやっていったわけですね。そして、人がやらないパティシエがやっているレストランをやっていく。料理を食べた後にこんなデザートが出てくるレストランはない。そういったものが、他との差別化になるというのを狙っていくわけです。

百貨店の催事会場でショーケースの後ろに台を置いてよく立ってるんですが、それを最初にやったのは実は僕です。今ではたくさんのパティシエが台に乗って真似をしています。たくさんのお客さんがいる中で目立つために白い帽子をかぶって立つと風景が変わるんです。なかなか勇気が必要な行動だったのです。

また、外国人や東京の有名なパティシエはサインを書くことがあるのですが、私のサインなど求めるお客さんはいないと考えていた時、百貨店の方がサイン書いてくださいというので勇気を振り絞って書きはじめました。そうすると1日1人ぐらい女の子がサインを求めてやってくるのです。だから僕のサインを求める人も少なからずいるんだと思いました。

しかし素通りする女性からこんなことを言われることもありました。「柴田サイン書いてる~」と。正直そんなこと言われたら恥ずかしいです!でもバカにされながらもサインを書くことをやめませんでした。わからないお客さんが、サイン書くぐらい有名なんだという自分を作り上げていく。いわば、ブランディングです。

非常に勇気と根性がいります。しかしこれはやっていかなければならないことなんです。自分を作り上げていく、ブランドを作っていくというのは非常に大切です。日本では非常にブランド意識というのは高いので、どこのケーキをプレゼントされたとか、食べたとかいうのはすごく重要なのです。だからそのブランドに自分がなっていく。際立って目立つことをやっていく。目立つことを自分でやっていく。それがある程度のいい域までいくと、もっと他人がやらないことをやらなければならないというプレッシャーが出てきます。

また目立つということで海外進出も行ってきました。最初に上海に出店しました。もちろんたくさんの失敗を経験しました。

上海万博の2年前に上海のお店はオープンしたのですが、なんと上海万博のヨーロッパ館というところでの出店オファーがあったのです。私たちはその上海万博に出店するためにたくさんの資金を投入しました。しかし、結局失敗してしまいました。そのころ東京で上海万博のヨーロッパ館というところでブースがあったんです。

ヨーロッパ館というと、万博で言うとメインですよね。そこって結構人が集まると思って絶対売れると思ったわけです。1日200万ぐらい売れるだろうという推測で計算をしていました。愛知万博のときはカレーが何万食も売れたと聞いていました。なので上海でもめちゃくちゃ売れると思ったんですが、出店場所が一番端っこでした。それで結局約1,100万損したわけです。失敗を言い出したらきりがないです。香港では3店舗まで出店しましたが、失敗し閉めてしまいました。大体1千万ぐらいロスしました。

今は毎月2週間ぐらいは海外で仕事しています。『やらないことをやっていく、あえてリスクを背負う』というお話をしたわけなんですが、儲かったお金は全部事業に消えました。しかし海外出店しただけで、日本のテレビで取り上げられたり取材を受けたりと、国内での知名度は上がったわけです。

もちろん、メディアに取り上げられるためだけに海外出店したわけではないですが、"人がやらないことをやっていく"ということが非常に大切というのはそういうところと結び付けていただければ、メディアが全てというわけではないですが、非常に大切だということがわかると思います。

なぜ僕が海外に進出していったかというと、起業して10年ぐらいたった時にみんなが「次は東京に出店しないとね」というんです。みんなが言うので一番東京には店を出したくありませんでした。

修行をたいしてしていなかったのでコンプレックスに感じていたんですが、ニューヨークのシェフが「今お前が何をできるかを考えないとニューヨークでは通用しない」と言いました。それで僕のコンプレックスは吹っ切れました。

経歴に自信がないなら今の自分に自信をつければいいと思ってすぐにニューヨークに飛びました。ニューヨークは日本と全然違うと感じました。そこからは逆転の発想です。フランスなんて遅れているという感じの思いになっちゃったんです。

そんな時にちょうど経済特区といわれる上海に興味を持ちました。もちろん日本のお菓子屋さんは注目していませんでしたが、経済特区の上海に出店することが私にとっては最善でした。今では中国で1番2番のブランドになっています。まあそういった日本のお菓子屋さんがやらないことを、継続していくことが大切だと考えました。海外はエリアによって全然違いますしやり方も考えながら突出していくということを

僕はスタッフに言うことがあるんです。みんなが経営者になることが立派ではないんです。経営者と雇用者のどちらが自分に合っているかを選択ができる人が、一番凄い人だと思っています。何でも経営者がかっこいいわけではないです。毎月の支払いや売り上げなど、毎日考えなければならないことがたくさんあり、精神的にも苦痛なことが多いのが経営者です。

そういった意味で寿命も多分どんどん短くなりますし、全ての方へはお勧めしません。雇われとしてポジションを守っていく中で、会社の柱になっていくことも素晴らしい仕事の仕方だと私は考えています。

人生の中で人と人とのパイプになっていくというのは、非常に大切です。全ての方が経営者である必要はないですし、ならなくていいと思います。ただ、起業をしたいとしっかりと自分の中でビジョンがあるのであれば、それを明確にし、やっていかなければ簡単に失敗をします。中途半端に起業してしまうと、想像を超えるリスクを背負うことになり兼ねません。

僕がスタッフにも言うことですが、"全ては数字で決めろ"という話をします。

例えば何か期限を決めなければいけないという時に、『来年の中旬までにやろうと思っています』『来週ぐらいまでにはなんとかなると思います』そんなことを言う方々が8割9割はいらっしゃると思います。そういう方が何月何日までにします、というように明確に期限を定めないのはなぜかというと、抽象的な目標で結局は自分を守っているからです。そういう人は最終的に目標を達成することはできません。

なので、いつまでに仕上げてやるという、誰が見ても分かるビジョンを掲げます。"誰が見ても分かる"というのは、ある意味敵を作ることと同じことなんです。「あいつ出来なかった」とか言われたり思われたりするんです。ストイックにやっていって、いついつまでにやりますと人に明確に伝えるということが非常に大切です。絶対自分の成長になります。これを言えない人は結局は逃げているという意味なんです。

そういう人は絶対経営者に向いていないです。起業する必要ないです。中にはそれができない経営者の方もいます。もちろん僕も決めても目標を達成できないことはありますよ。でも数字を決めるということは、自分の逃げ道をなくすことなんです。逃げ道があれば必ず逃げ道が見えますから、成長の妨げになるんです。

日本では15~20万円ぐらいの生活保障などもあり、ある程度適当に生きていくこともできます。しかし起業するということは、社会の中で最も責任を背負う生き方の1つです。だからこそそんなに簡単なことではありません。

更に少子高齢化なので、これから益々人材不足になっていき、海外からはどんどん労働力が投入されてきます。5年後10年後は全然違う社会の構図になると思います。10年前の自分はどうしていたか、というのを僕は考えます。ましてや20年前の自分が起業した時は自分が海外のお店をやるなんて考えていなかったです。

1店舗で借金を返して終わりだと思っていました。時代がこれだけ変わっているということです。スマホどで情報がどんどん入っていくというのは20年前、30年前とは異なります。今後の情報のスピードはさらに何十倍もの早さになっていき、5年後の自分を想像することが困難だと思います。

でも想像しなければいけません。何がしたいかというのが明確じゃないと、今の自分が何をすべきなのかわかりません。だから自分の行動があやふやになってしまいます。

僕がお話ししたのは『たとえ大きなリスクが伴っても、勇気が必要でも、人がやらないことをやるべきだ。』ということです。

後は数字でしっかりと管理していくというのが僕がやってきた中で今後のビジョンやスキームを組んでいくなかで必要なことです。これはいろいろな職業の方がいますが、すべて繋がるんじゃないかなと思います。

今後はもっとクオリティの高いものを求めていき、"誰もがやらないことで突出する"というテーマの中で、次世代のパティシエ像を創り上げていきたいです。

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世界中で出展されていて、味付けはその土地、国々で変えられていて、おもしろい傾向があるというのがあれば教えてください。

o
p
i

これは国ごとに全然違います。簡単に言えば東京と大阪は全然味が違いますよね。大阪でおいしいと思って東京でも同じレシピでやっても東京の人のニーズがありますよね。

ニーズが違うとこで同じことはできない。

あとは、飲食業では"水"が非常に大切です。水が違うところでは同じものはできない。同じものをやるとなると化学的な何かを使わなければいけない。

ニーズに関して、自動車業界で例えるT社が昔中国に入って失敗し、今もう一度チャレンジしています。N社はヨーロッパで成功していますが、要するにニーズがあったということです。ヨーロッパに行けば大きい車は売れないです。小さい車ばかりですよね。

ローカライズしていくことはとてもビジネスやる上で重要です。しかしブランドイメージを作り出すためには、ローカライズと自社のイメージの比率を考えなければいけません。

o
p
i

5年後10年後に何をするかというのをお話しされていましたが、5年後はある程度ビジョンが描けるのですが10年後となるとモヤモヤしてうまく描けないのですが、柴田さんなりにはどのように考えられているんですか?

o
p
i

一私は経営者なので、一番のキーはやはり人材ですよね。10年後の人口などの統計を見たり、日々お客様のニーズを見たり、マーケットを見たりしています。職種によってこれは違います。

あとは、どうなりたいか、どんな生活をしていたいかなど明確なビジョンを持つことが大切です。更にその中で、中期ビジョン、長期ビジョンを持つことも非常に大切です。

何を目安で考えているかというと、ヨーロッパやアメリカなどの外国です。外から日本をみているのですごく想像しやすいです。いろんなところから自分の立ち位置を見る。いつもいるところから見たってわかんないですから、ちょっと離れたところから自分を俯瞰して見ると想像できることがあるのではないかと思います。

 

o
p
i

柴田さんのようにあるひとつの目標に向かって経営をされていて、モチベーションは上がり下がりするとは思うのですが、モチベーションを維持していくうえで何か柴田さんなりのこれだけはやるというようなルーティーンはありますか?

o
p
i

モチベーションを保っていくのはたしかに非常に難しいですね。日々環境や人間関係が変わったりというのはあると思いますが、会社はスタッフに支えられているのでこいつらを何とかしてやりたいという想いが強く、自分が明確でなければいけないというのはあります。

やる、やらないはその人次第ですが、そういうことを明確にしていくことでモチベーションが上がっていきます。

週に3、4回はジムとプールにいくことがルーティーンの1つです。モチベーションを維持していくために明確な目標や憧れの人を持ち備えることが大切です。

最終的には自分で決めたことをやっているということがモチベーションを上げていく秘訣ではないでしょうか。

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著者プロフィール

柴田 武

柴田 武

現在、日本に4店舗、上海2店舗、香港1店舗のシェ・シバタを展開。 広州、杭州、長沙にも展開しています。 また2013年タイのバンコクにも進出し10店舗以上を展開。 2009年、日本人として初めてパティシエとしての自社のブランドを海外展開してから、世界中から出店オファーを沢山、頂いております。 アジアを中心に活動をし最終目的地はニューヨーク、マンハッタン。 現在、世界のグルメ達から日本の技術や味覚が求められています。 日本人の職人の多くは海外慣れをしておらず、また消極的な考えだと感じております。 フランスの伝統や基礎を大切にして独自のスイーツを発信し続けます。 将来の日本のパティシエの為に厨房に立ちながら世界に挑む精神を大切にしたい。 日本経済、政治に不安不信がありますが、日本大好きパティシエとして地元を大切に世界へ発信していきます!! 講師、国内外テレビ出演など多様な活動もしている。 2010年8月より岐阜県多治見市、観光大使に就任 2015年 愛知県西尾市 抹茶大使に就任