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「お母さん、ちょっとミャンマー行ってくるわ」~起業の原点は“気になったら即行動”~

ポイント
  1. 圧倒的な図々しさからの行動力
  2. ある程度あった基盤からの考え
  3. 間違いのない実行力と人との出会い

目次 [非表示]

お母さん、ちょっとミャンマー行ってくる

助っ人編集部  

株式会社ウェイビーです。よろしくお願い致します!まずは簡単に自己紹介をお願い致します。

野口氏  

こちらこそよろしくお願いします。株式会社Ale Mocole(アレ・モコレ)代表取締役社長の野口智瑛です。学生で起業し、現在慶應義塾大学商学部4年生です。僕が通ってた高校がほぼ男子校のような学校だったせいか、慶應大学に入ってからいわゆる“大学デビュー”をしまして。笑 今日合コン、明日飲み会、明後日クラブオールみたいな、ほぼ毎週それの繰り返しだった笑

僕、もともと中高6年間美術部だったんですよ。小さいころからずっと絵を描くのがすごく好きで、個人的な趣味で色彩の資格を取ったりとかもして。だから、デザインとかカラーコーディネート(配色)とか、そういうのがすごい好きで。僕はちょっと偏りのある人だから1回絵を描き始めるとずーっと20時間こもりっぱなしとかそんな感じ。だから、実は根が引きこもりでね。笑 それが、大学デビューしてちゃらついちゃって、でもやっぱり、根は引きこもりだから、1年の11月くらいに、これちょっと違うなって。それでいっぱい入ってたサークルも全部やめて、引きこもりはじめちゃった。

助っ人編集部  

大学デビューですか!そんな時代もあったのですね。

野口氏  

そうなんです。そして、そんな時のある日、たまたまヤフーニュースを見てたら、「ユニクロがチャイナリスクを恐れて中国からミャンマーに工場を移設している」って記事がでてて。 ちょうど「このままじゃまずいな。将来のことそろそろ考えないといけないな」って思い始めてた時期だったし、デザインやカラーコーディネートの延長線で漠然と“アパレルっておもしろいかも”って思ってた矢先だったから、なんかこのニュースが無性に気になった。それで、ミャンマーって国を調べてみたら、意外と治安が良くて人もすごく優しい国民性って書いてあって。

僕がそのニュースに出会ったのが2012年。ミャンマーが民主化して、約30年ぶりに開国したのが2011年。いきなり政府の方針が変わって民主化したから、昔の日本のようなバブル状態らしいとのこと。で、銀行口座見たら意外と貯金あった。それで、お母さんに、「ちょっとミャンマー行ってくる」って急に言って、それがすべての始まりだったかな。

助っ人編集部  

もともと起業したい!とか、ミャンマーへ行って何かしたいという具体的なビジョンなどもなにもなく、ですか!?

野口氏  

そうそう。たまたま見たニュースがきっかけで、そこがミャンマーという国だったってだけで、ほんとそれだけだね。笑

そんな感じで、1年生の終わりの春休み、19歳になったばかりの時にミャンマーに1週間、初めての一人旅で行った。でも、1週間ただ旅行しててもしょうがないなって思って、図々しいんだけど、せっかくだから現地のアパレルの現場を見たいなって思ってね。僕は思ったことを何でも言っちゃうし、すごく図々しいんだけど、圧倒的な図々しさって意外と大事なんじゃないかって勝手に思っているのね。

それで、行く前にネットで、「ミャンマー コンサル」って調べて出てきた会社のアドレスに片っ端から「慶應義塾大学の野口という者なんですけど、アパレルに興味ありまして、案内してくれませんか?」みたいなメールを10件くらいバンバン送っていった。でも、ほとんどのところがダメだったんだよ。急な民主化に伴い、たくさんの日系の大企業が視察しに押し寄せているときに、お金持ってなさそうなそんな大学生の相手なんかしている場合じゃなかったんだよね。笑 だから、学生なのに“視察案内料20万円”って返信があったり、学生はお断りですとかの返信がほとんどだったんだけど、幸運にも、1件だけ、とあるおじさんから「学割で1万円でいいよ」って返信がきた。

助っ人編集部  

圧倒的な図々しさ、、、。とても大事だと思います。笑

野口氏  

それからミャンマー着いて、そのおじさんが色々案内してくれて、日本で言うところの縫製の職業訓練学校のような15歳くらいの女子生徒たちがたくさんいるところへ案内してくれたんだけど、すごい活気に溢れていたんだよね。当時、僕はまだミャンマー語が話せなかったから、通訳を介して色々聞いたんだけど、その子たちは、「これから外資系のアパレル企業がどんどん入ってくるだろうから、その時にすぐ働けるようにミシンの勉強をしているんです」って言っていた。それも、日中40度超えるような熱い中で冷房もない中で、すんごい熱心に勉強しているから、ミャンマー人はとっても勤勉で、真面目で、ひたむきな国民性だなって感心させられちゃった。

そして、なによりも、“これから国が変わっていくぞ!”という熱い熱気を街中で感じた。あとは、とにかく当時はまだ外国人が珍しかったから、もともと親日ではあるんだけど、道の向こう側からも「おーい!日本人ですかー?」てな感じで声かけられたり、すごく歓迎してもらえた。行く前のイメージでは、貧しい国で子供たちが“give me money”って詰め寄って来るような感じかと勝手に思っていたんだけど、全然そんなことなかった。そういう悲壮感のようなものは漂ってなくて、むしろすごくポジティブな感じだった。ミャンマーは土地がすごく豊かだから何でも育つし、なんなら米とかは輸出しているくらいだから、食料自給率は高い。僕が行った当時は平均月給8000円くらいだったけれど、食べるものがなくて飢えているとかそういった貧しさはなかった。

助っ人編集部  

熱気に溢れているのですね!!!街の雰囲気はどんなかんじですか??

野口氏  

雰囲気は想像と全く違ってましたね。何よりも面白かったのが、タイムスリップしたみたいな感じ。日本人の僕からするとね。日本の昭和以前みたいに井戸水くんでたりするんだけど、その横でみんなスマホ弄ってるんだよ。笑 ヤシの葉でできた家でスマホゲームに夢中になってたりしててさ。笑 もはや浦島太郎の世界ですよ。中国の会社が安くしたスマホを売っているからみんな持ってるんだけどね、一番びっくりなのは、ガラケー知らないんだよ!なんでかっていうと、ここ30年弱国が閉ざされていたから、彼らが初めて手にしたケータイがスマホってわけ。他国で歩まれてきた“携帯電話の進化の歴史”がすっ飛ばされて、いきなりスマホ。笑 それがなによりもおもしろかったかな。笑 それ以降僕はしょっちゅうミャンマーに行ってるけど、3か月に1回ペースでも街の風景が変わっているからね。進化がすごく早い。その速度感がすごいおもしろいなって。

進化し続ける国、ミャンマー

助っ人編集部

今まさに変化し始めたすごい国ですね。笑 でもミャンマーの方々もすんなり何でも受け入れたってことにも驚きました。はじめてのケータイがスマホだったり、今までなかったものがどんどん入ってくることに抵抗はなかったのですかね?

野口氏  

闇市場のようなところで海外のDVDなどは買えてたみたいだから、それを見て、自分たちは知らないけれど、スマホなどを使った豊かな国があるってことは認識していたんじゃないかな。今思うと、これが僕にとってミャンマーのおもしろいところだなって思うところがいくつかあって。例えば、僕たちはいわゆる“失われた20年世代”なわけで、親が経験してきた高度経済成長期どころか、バブル景気すら知らない。生まれた時にはすでにバブルがはじけてて、「これから少子高齢化が進んでいって日本の未来はお先真っ暗」というようなニュースばかりをすりこまれてきたわけだけど、ミャンマーを訪れるたびに、自分たちは見てこなかった親世代の高度経済成長期を10倍速くらいのスピードで見ているみたいな感覚になる。躍動感というか、めまぐるしい変化というものが、おもしろい!って。日本はあらゆる分野で成熟してしまっているけど、これからどう変わっていくかわからないミャンマーの未知な感じに衝撃が走った。初めて訪れた当時はメール1通開くのに3分くらいかかっていたのに、今はYouTubeもガンガン見れるし。笑

助っ人編集部  

それだけ新しいものを取り込んでいって進化し続けているってことは、たしかに色々な国にとってすごく魅力的ですよね。0から作っていけるというか。

野口氏  

そうだね。あと、ミャンマーって日本と似ているところがある。信仰の程度は違えど国民の9割が仏教徒だし、目上の人を敬うなどの価値観が割と一緒で。お月様を見てうさぎを思い浮かべたりとか、メンタリティーがとても近い感じ。だから割と日系が進出しやすい環境かも。

助っ人編集部  

そうなのですね。そんなにミャンマーが親日だとは知らなかったです!ミャンマーに初めて行って、衝撃を受けて帰国し、その後はどうされたのですか?

野口氏  

帰ってきた瞬間なにしたかっていうと、日本国内で最も多くミャンマー人が住んでいる高田馬場に行って、ミャンマー語教室に入塾してきた。笑 ミャンマー好きになっちゃってて。それから漠然と、“東南アジアで”アパレルやりたいって気持ちがでてきて。とにかく“これから”という国で。でも、「ひょっとしたら、そういう経済発展が著しい国であれば、なにもミャンマーじゃなくてもいいのかな」とも思っていた。僕は帰国子女でもないからミャンマーしか知らなくて、シンガポールは旅行で行ったくらいだし。「こりゃ、ちょっと他国と比較しなくてはいけないな」と思って、2年生の夏休みに1ヶ月かけてインドシナ半島らへんずっとバックパックで回った。はじめに、もう1回ミャンマーをみておこうと思って行って、それから、ラオス、カンボジア、ベトナム、タイって5ヶ国行った。各国でアパレル関係の人に会いつつ。 でも、「やっぱりミャンマーがいいな」という結論になった。

助っ人編集部  

なんでミャンマーだったのですか?違いはなんだったのですか?

野口氏  

例えば、タイだったら、バンコクなんて日本よりも高層ビル建ってるくらい発展してた。どうやら僕は先進国には興味が湧かないみたいで、ベトナムのホーチミンもすっかり大都市だったから、僕的にはナシ。カンボジアはミャンマーくらいなんだけど、内戦の爪痕でお腹を空かせたストリートチルドレンがたくさん群がってきたし、結構治安も悪くて。人口もそんなにいなくて、これからの発展が労働力の観点以外であんまりなさそうかなと思った。素晴らしい遺跡がたくさんあって良い国だったけど! ラオスは田舎すぎて、これは仕事をみつけに行く感じじゃないなって笑 人口600万人しかいないし、四方全部、山、山、山って感じ。これまた素晴らしい大自然だったんだけどね! それで、やっぱりミャンマーにしよう、と。ミャンマーは長年、軍事政権が独裁政治をしていたから、海外から極力目をつけられたくないっていうのがあって、観光客に危害を加えようものなら恐ろしい監獄行き、みたいなそんな感じの圧政下だったから、逆に治安が良いんだよね。もちろん、それだけじゃなく、根底には、国民の多くが敬虔な仏教徒で輪廻転生を信じているからというのもあるけどね。現世で悪いことしたら、来世で不幸になっちゃう、とね。

とりあえず1年間ミャンマーに住んでみることに

助っ人編集部  

なるほど。では、ミャンマーとアパレルというのはとりあえず決定したのですね。笑

野口氏  

そう、決まっていることは“ミャンマー”と“アパレル”ということだけ。笑 でも、20歳までに見てきた世界なんてたかが知れてるし、しかもまだ自分の具体的なビジョンもないわけだから、「じゃあとりあえず、1年間ミャンマーって国に住んでみたら何か見えるんじゃないかな」って。

助っ人編集部  

失敗したらどうしよう、、、、とか考えていなかったのですか?

野口氏  

それで、違うなって思ったらまた違う道に進めばいいし、すごく単純なんだけどね。笑 もともとかなりの楽天家だし、なによりもやらないで後悔するの嫌だし。 それで、大学に休学届出して、ミャンマーに1年間行くことにしたんだけど、“問題はどこに住むか”ということ。そこで、今まで2回行った時のつてでまたメールして、「住む環境さえいただければ、給料とかいらないので、タダでいいので仕事させてください」と。現地アパレル企業10社中9社だめだったんだけど、幸運にも1社だけ日系のアパレル検品会社が話を聞いていただけることになった。当時探していた会社の基準が、ミャンマー、アパレル、あと、自分の裁量を活かせる幅が大きそうなところ。だから、ベンチャーか、既にある程度大きな会社の新規事業立ち上げがいいなと思っていて。それで、その1社はミャンマー以外のアセアン諸国にはほとんど工場があって、これからミャンマーに新しく第1工場作ろうかという段階だったから、すごくおもしろそうだなって。

本社が上野にあるから面接に行ったら、「調査で駐在員を送り込んでて、シェアハウスしている住居に1部屋余りがあるから、そこに住んでもらうのは可能だけど、まだ構想段階だからひょっとしたら社長の意向でミャンマー進出がなくなることもあるかもしれない。それでも来るの?」と。もちろん僕の答えは二つ返事で「行きます!」だったけど。笑 それで、2014年の4月にミャンマーへ旅立って、2015年の2月末に日本に帰ってきた。

助っ人編集部  

ここまでお話を伺っている限り、行動力のかたまりだなというのと、思いついたらやってみるそのチャレンジ精神が本当すごいなって感じました。2014年にミャンマーへ行って、そこから帰国まで検品会社で働いて生活されていたのですか?

野口氏  

それが、実は、その検品会社は半年で辞めているんだよね。今振り返っても感謝しきれないほどとってもお世話になってたし、本当にたくさんのことを学ばせていただいたんだけど。あることを始めちゃって両立できないなと。とりあえず、検品会社でのその半年間は何をしていたかというと、ミャンマーに来た4月の時点では、まだ住所兼オフィス以外は何もないわけよ。僕と3人の社員さんで毎日まず、工場団地の土地や工場の空き物件を見に行ってた。

結局6月に、昔倉庫として使われていた物件の内装を変えて工場にすることが決まった。その時点で僕はもうミャンマー語が話せるようになっていたから、他の社員さんが縫製工場への営業で忙しい間、僕は建材市場に行って検品工場に必要な資材の価格調査や価格交渉などを現地の人とやってて。物件が決まり、内装工事も進み、次は工員さんを入れる段階になって、近くの村に行って“今度検品会社をはじめるので働きたい人は面接に来てください”と書いた看板を立てた。そうしたら、100人くらい集まってきてくれて、じゃあ面接とちょっとした筆記試験をしようってなって、その試験を僕は作ったんだけど。

助っ人編集部  

そんな短期間でミャンマー語が話せるようになるってすごいですよね!!ちなみに、試験問題ってどんな内容なんですか??

野口氏  

足し算・引き算・掛け算・割り算できるか。これできないと段ボールや服の数を数えられないから。あとクイズのような感じで、段ボールがいくつか積みあがってる立体の平面の絵をかいて、全部で何個あるか。あと、自分の名前をミャンマー語で書けるか、文字読めますか。という試験。面接に来てくれた人のうち3割くらいの人が文字読めなくて。残念ながら文字の読み書きができない人はさすがに雇えなくて。余談だけど、外務省のHPに記載されているミャンマー政府発表の識字率によると9割超えているのに、実際はそんな感じだった。なぜかというと、高卒や中卒どころか、小卒って人もいて、小6まで通ってた人は読めるんだけど、小2までの人とかは読めないんだよね。なんで小学校やめちゃったかっていうと、担任の先生にお金を払わないと進級できないなんてことがあるから。ミャンマーってすごい賄賂国家で、なんでもお金で解決しちゃう国だし、教師を含めた公務員の給料は低いから、そんな背景もあって教育を受けてこれなかった人たちがいるんだよね。

面接と筆記試験を通過して入社してくれた工員さんたちに、次に僕がしたのは新人研修だった。自分たちの言語の文字が読めても英語を話せる人はいないので、“日本企業で働くってこういうことですよ”とか、“検品はこうやるんですよ”っていうのを僕が毎日ミャンマー語で研修教育をしていた。それで、9月から工場が動き出して、僕は11月に辞めた。

なんでかというと、スーツのオーダーメード事業を自分で立ち上げて、二足のわらじをはけなくなっちゃった。

助っ人編集部  

ここまで、特に資金など多くかかったわけでもなく学生の可能な範囲で、でも普通に大学生活を送っていたらまずできない経験を沢山されていますね。今のお話を聞く限りでは特にスーツに関係する印象を持たなかったのですが、検品会社をやめて、なぜオーダーメードのスーツを始めたのですか?

野口氏  

実はミャンマーに行って、8月くらいから考え始めていたことで。僕が住んでたミャンマー最大都市のヤンゴン市に、1993年生まれのハタチの日本人男性は当時はおそらく僕1人だけで、そのせいもあってか、日本の駐在員の方々にすごくかわいがってもらってて、よく飲みに連れて行って下さった。

そんなある日、大手企業の駐在員の方と飲んでいたら、「ミャンマーでスーツを新調できたらいいのになぁ」ってみなさん結構口をそろえておっしゃっていて。僕が、「それってどういうことですか?スーツ着られるんですか?」って聞いたのね。ミャンマーってしょっちゅう停電したりインフラが脆弱な国だからベンチャーや中小企業の進出は少なくて、そうなってくると、商社やゼネコン系など有名な大手企業の方々が多い。だから、みなさん暑くてもビジネスシーンではスーツは着ている。ってことで。でも、ミャンマーは暑いし、汚い場所が多いし、雨季があるからカビが生えるしで、すぐスーツがダメになってしまう。けれど、一般のミャンマー人はスーツを着ないから、日本でいうところのコナカとか青木とかそういった既製品スーツの専門量販店がないってことで、みなさん悩んでいた。

助っ人編集部  

ミャンマーに住む方には、そんな悩みがあったのですね。

野口氏  

それを聞いた時に、僕は「そういえばスーツの仕立屋さんを街中で見かけたことあるな」って思い出して、行ってみたら、確かにスーツを作っていた。ミャンマーでも、中間層以上のお金を持っている人たちはお祝いごとの時とかに着たりするらしく、彼らが一生に2、3着作ることで生計を立てているとのこと。昔英領ビルマだった頃に、イギリス人が残していったテイラー技術も残っていた。生地もイングランドやイタリア産の良質なものを台湾やタイを経由して二次流通で安く仕入れたものが沢山あった。でも、駐在員の方々に仕立屋のことを教えてもミャンマー語しか通じないから、オーダーメードなのに要望が伝わらない。

「それなら、僕が人間の身体を採寸できるようになれば、“出張仕立屋さん”ができるかも!」って思って。

“仕立屋さんに所有する生地の見本のブックを作ってもらって、それを僕に預けてもらい、お客さんが電話一本で野口を呼びつけてもらったら、いつでもどこにでもお伺いします。その場で生地を選んでもらい、採寸をして、日本人の僕に日本語でなんでもご要望を言ってもらって、あとは僕がミャンマー語で仕立屋さんに伝えて、1か月後完成したものをまたお届けしに伺います”という形ができるかもしれない、と。

助っ人編集部  

よく考えられましたね!ここからどう動いたのですか??

野口氏  

それでまずなにをしたかっていうと、ミャンマーの僕のいた街のタウンページみたいなものを買ってきて、スーツの仕立屋に100件くらい電話して、どういう生地を扱ってて、何種類くらいあって、いくらくらいで、どのくらいの期間で作れるのかというのを聞いた。結局、日本人の細かいオーダーに応えられそうなところは30件くらいで、当時はまだ平日は検品工場でインターンをしていたから土日に1店舗1店舗回ってみて、品質管理とかいろいろ見て、中には高クオリティーのスーツつくれるわけではないけれど、プライドだけはすごく持っていて日本の大学生の話なんて聞いてくれないような人もいた。それでも、本当に奇跡のような話なんだけど、たまたま1件だけ、200種類くらいイタリアやインドの生地を持ってて、オーナーが富裕層で仕立屋を趣味みたいな感じで長年やってるところがあって。日本人と話をするのは初めてだけど、どういうことをしたいのかの理解をしてくれた。縫製の知識なんて無く、スーツをやろうと決めたとき「スーツとは」ってググることからスタートした私みたいな若造にも丁寧に耳を傾けてくれ、「日本人の服を作ったことはないけれど、どんな国籍の人にもお客様に満足してもらえるものを作るのが僕たちの使命だから一緒に作っていきたい。日本のオシャレ・トレンドを日本人の君から教わりたい」って言ってくださって、それでやることになったんだよね。

インターンから起業の道へ

助っ人編集部  

本当にそのお店に巡り合えたのは奇跡ですね。笑 ではそこから、本格的にスーツのお仕事を始めていったのですね。

野口氏  

そうそう、ほんとに奇跡。でもね、やっぱりそういきなりは上手くいかないんだよね。笑 まず、色んな人の体を測らせてもらったり、自分の体でも色々と試して、1週間くらいで独学だけど、だいたい採寸のことがわかってきた。よし、これでできるかなって思って、身体データと選んでもらった生地番号さえ渡せばそれで仕上がるかなと思った。けど、出来上がったものを見てびっくりした。“バブル期”の服なんだよね。笑 分厚い肩パットがはいってたり、ワンサイズでかめの型紙をそのまま着ているかのようないかつい感じでさ。30年前からずっと国を閉ざしてたわけだから、その時のファッショントレンドでストップしてるんだよね。つまり、“今時(当時2014年)のニューヨークとかトーキョーとかパリとかのビジネスマンがどういうスーツをかっこよく着こなしているか”を知らないんだよね。

助っ人編集部  

バブル期のスーツですか、、、笑。ちょっと着るのが恥ずかしいですね。笑

野口氏  

そこから、“身体数値データじゃなくて服の数値データを渡さなければならない”ということがわかった。 例えば、「胸回りは、身体の数値プラス何センチがフィットするのか? プラス10cmはどんな着心地か?プラス8cmだとどうか?じゃあウエストは? 手首は?」 といった感じ。“プラス何センチにしたら、最高の着心地が生まれるのか”ということを、様々な人の体格の人に合ったサンプルを沢山作りながら、このデータを割り出すのに3ヶ月かかった。それができた段階で、いざスタート。「野口、スーツ始めました!」ってバーッと広めた。“既製品すらないミャンマーで、日本語通じる採寸者がどこにでも来てくれて、なおかつフルオーダーメイドで上下セットアップ350ドル!”ってことだから、ありがたいことに日本人コミュニティの中でめちゃめちゃ口コミで広がった。競合もいないし、たくさんの日本人駐在員の方が僕に電話してきてくれるようになった。

きっかけは、日本人の“ミャンマーでスーツ新調できたらいいな”というニーズと、ミャンマー人仕立屋の“やったことないけど日本人のスーツのオーダーがたくさん入ったらすごく嬉しい”というニーズを、僕がマッチングできるのでは?と、ほんとにただそれだけ。至極シンプルだけど、“ない”ところに“ある”を作るといった感じで、的をついてたんだと思う。

助っ人編集部  

双方のニーズをマッチングできるってなかなかできることじゃないですよね。では、もうその時点で検品会社をやめたのですか?

野口氏  

どちらも別ジャンルの経験を積めたから、本当はかけもちしたかったんだけど、スーツの方が忙しくなって無理になってしまって、それで辞めたかな。親切にも、住まいに関しては「辞めても住んでていいよ」って言って下さったんだけど、さすがに申し訳なくて。かといって異国でホームレスもやばいってなって、そしたらたまたま慶應OBの方々が拾って下さったんだよね。駐在の方々ではなくて、高校からの同級生3人がミャンマーの不動産業界で起業してて、今もバリバリ現地でホテルとか建てている人たちで。それで、これもまた図々しい話なんだけど、その人たちの家で飲ませてもらっているときに、リビングの隅を指して、「ここに枕持ってきて、布団敷いていいですか?」って言って。笑 「僕、今日からここのリビングで居候させていただきます」と、それから帰国までの間ずっといさせてもらって、スーツの仕事に集中することができた。

結局、帰国までの残り4ヶ月弱で、ミャンマー在住の日本人駐在員を対象に約80着のスーツをデザイン・販売して、復学するために日本へ帰ってきた。 僕自身は大学中退してそのままミャンマーに住み続けたかったくらいなんだけど、さすがに大学はちゃんと“卒業”すべきと、周りの忠告がありまして。笑

助っ人編集部  

その慶應の起業家3人組もすごい方々ですね。笑 たくさんのいい出会いとか、それこそビジネスとしてちゃんと稼いで、すごく濃い1年間を過ごして帰国されたんですね。帰国後はなにをされているのですか?

野口氏  

大学3年生に戻るために帰国したわけだけど、実は今はまた別のことをやっているんだよね。僕は死ぬまでアパレルをやるって決めてるから、もちろんアパレル関係なんだけど。今でもまだちょっとミャンマーで仕事があるから、ミャンマーにはちょくちょく出張ベースで行ってるんだけどね。ここから野口第2章がはじまります。笑

助っ人編集部  

節目ごとに1つ終わらせて、また新たなものを初めてって、行動力もですけど、実行力も素晴らしいですね。今のお話ではまだ起業されてはないということですが、現在も学生ということで今後のお話でまた起業のお話を伺いたいと思うのですが、学生時代に起業されたということで、なにか年齢的な意味でのメリット・デメリットはありますか?

野口氏  

よく、起業はしたいけど何で起業したいかわからなくて、一度企業という組織の中に入ってみて社会を色々見てからその中でこれをやってみたいっていうのを見つける学生さんもいるけど、僕の場合は、幸運にも、“アパレル”というやりたいことを学生時代に明確に見つけることができた。たまたまミャンマーのような特殊な環境もあって始めれちゃったこともあって、学生だけどもやってみたらいつの間にかひとひとつずつビジネスとして形になっていけたから、「このままアパレルでやっていけそうだし、死ぬまでアパレルやっていきたいな」という感じかな。だから、年齢的に早いとか遅いとか、そういったメリット・デメリットを考えたことはあんまりないなぁ。

助っ人編集部  

なるほど。さらっとおっしゃられましたが、やっぱりそれは野口さんの行動力であったり、かわいがってもらった人たちとの繋がりだったりとか、そういった色々なものの積み重ねで成し遂げられたもので、普通の学生の私から見たらやはりすごいです。 では逆に、デメリットの方はどうですか?

野口氏  

デメリットっていうのは僕はないと思っていて、すごく楽観的な性格だからかもしれないけど、「失敗してもいいじゃん」って思うんですよね。失敗しても、「こんな失敗の経験を持ってるやつは他にいないでしょ」って。だから例えば、たとえ自分の会社が倒産して一文無しになっても、その経験を活かしてどこにでも就職できるんじゃないかって思ってる。

あと、時間っていうものに対して自分なりの概念があって、「お金は毎日毎週減ったり増えたりするけれど、時間って例えば80歳で死ぬとしたらあと60年しかなくて、死に向かってその時間を消費するだけ。ありきたりな表現をすると、一度過ぎた時間って二度とかえってこない」と。僕はすごく欲張りだから死ぬまでにやりたいことがいっぱいあるんだけど、時間って削られていくだけだから、逆算すると、40歳でこんなこと、30歳でこんなこと、今の22歳という年齢でこんなことやれてないとだめだなって思っちゃう。だから、よく「20歳で起業とか若いね」って言われたけど、僕自身は「全然若くないし、全然時間足りないな」っていつも思うんだよね。だから、僕はデメリットは感じてないかな。

むしろ、“まだ若いから”とか、やってもないのに“自信ないから”とか理由づけして、“今、この瞬間、やりたいこと”をやらなかったら、後々“やらなかったこと”に対する後悔の方が強く感じると思う。ましてや、“あの時自分がやろうと思ってたこと”で誰かが実際に起業して成功しているのを見たりなんかしたら、僕はめちゃくちゃ悔しい。だから、今日、明日、一日一日自分の気持ちに妥協しないで今やりたいことを全力でやりたい。自分のやりたいことをちゃんとやっていたら、その過程でいくらでも新しいチャンスと巡り会えるじゃないかなって僕は思う。

助っ人編集部  

めちゃめちゃストイックですね!時間の概念、とても考えさせられます!

野口氏  

あとね、ちょっとでも夢のある人がいたら、僕はまず、「自分のこと好き?」って聞きたいんだよね。笑 僕すごく自分好きで、気持ち悪いくらいナルシストで、自分のことがとっても大切。笑 よくコンプレックスっていう人がいるけど、「自分のこともっと好きになろうよ」ってすごく僕は言いたい。自分のことが好きすぎるから、「10年後、20年後、自分がこんなことをこんな人と一緒にやれていたら、自分は最高に幸せだろうな」って考える。「なにをどうしてたら、野口は喜んでいるのかな」って。笑 そんな観点で考えられると、自分の将来に対する真剣度が自ずと上がっていき、より高いところに目標を設定できる気がするんだよね。それに、必ずしも“自分好き=自己チューで身勝手”とは思わない。「野口と一緒に仕事してると最高に楽しい」と他者に感じてもらえることが、自分にとっての幸せでもあれば、周りの幸せにも繋がるはずだしね。

アイディアと人間力で、周りを巻き込む

助っ人編集部  

そういう考え方素晴らしいなって思います。私はとてもできなくて。笑 野口さんは コンプレックスは抱いたことはないのですか?

野口氏  

あまりないかな。「自分が全部の分野で何でもできなきゃいけない」とは思っていないからね。僕は英語が苦手だけど、英語を流暢に話せる人に味方になってもらえればいいし。僕はITとかそういったものにも弱いアナログな人間だけど、そういう人が身近にいたらその人と組めばいいわけだから。「自分の弱みっていうのは、いい意味での“人を巻き込むこと”によって、補える」と思ってる。自分に魅力があれば、人はついてきてくれるはずだからね。大切なのは、「この人のためなら私の能力を分けてやってもいいかな。この人と一緒に補い合って仕事したら最高に面白いビジネスが生まれそうだな」と自分が思ってもらえるかどうか。自分が能力的にスーパーマンじゃなくても、巻き込みたい人をワクワクさせられるような“アイディア力と人間力”があれば、たいていのことはなんとでもなるんじゃないかな。だからコンプレックスはあまりないかな。

助っ人編集部  

すごく久しぶりに衝撃を受けました。全部の日本人がってわけじゃないですが、一般的な日本人の傾向としてそういう考えができるって人はなかなかいないですよね。

野口氏  

ミャンマーに行ってから変わったところもあるけど、本当に自分大好きで、自信家で、楽天家なんだよね。ほんとただそれだけ。笑 あと、ちょっとぼやっとでもやりたいことがあるって人は、東南アジアとかアフリカなどの“これからの国”に行ってみてほしいなって思う。「ミャンマー行ったからこそ今の自分があるな」って、今振り返ってみると強烈に思うんよ。東京って、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ミラノと並んで、世界五大ファッション地の1つでしょ。だから、ここ東京で認められなかったら、成功しなかったら、世界で成功できるわけがない。「成熟した先進国市場は魅力的じゃない」とどんなに叫んでも、アパレルの世界に身を投じるからには、「いずれはこの世界一オシャレな街の1つである東京でも成功しなきゃ意味がない」と、自分でも思ってる。

助っ人編集部  

野口さん、かっこよすぎます!!これからの活躍がとても楽しみです!!

野口氏  

でも、さっきスーツの話で、「採寸やデザインの勉強をして売り出せるまでに3ヶ月かかった」って言ったけど、ミャンマーだからこそ3ヶ月でスタートできたんだよ。ハタチそこそこの学生ごときがどんなに寝ないで3ヶ月間死ぬほどスーツの勉強をしたとしても、東京という成熟しきった世界一オシャレな街だと、僕よりスーツに詳しい人はごまんといるわけで。でも、スーツ文化自体が未成熟なミャンマーだと、ハタチの若造が3ヶ月間勉強しただけで、ひとつのビジネスモデルが回り始めちゃうんよ。これって、相当おもしろいなって。もちろん国ごとに文化や言語の違い故の難しさがあったりと、決してそういうブルーオーシャンな環境をなめているわけではないんだけどね。でも、今ミャンマーに感謝してるのは、競合がいなくてこれからって国だったからこそ、たった20歳の若者でもあれだけの経験をさせてもらえたということ。

だから、経験値を増やして自分のやりたいことの可能性を探るって意味だと、そういう“これからの国”の方がたくさんの経験を速いスピードで積めるんじゃないかって思う。そういった“環境”の観点から言うと、例えば、大企業で勤務することの魅力のひとつに、ベンチャー企業では難しい大きなプロジェクトを3、40代でも会社の巨額な資金を使ってできる環境があると思ってて、だから海底油田のプラント開発とか、大陸間の交通インフラ敷設とかそういう地球規模ででっかいことをやりたいって人はぜひ大企業に就職したらいいと思う。起業して自分1代でそこまでの規模にもっていける起業家は、ほんの一握りだと思うし。合う環境、合わない環境って、その人の仕事観だったり生き方だったり人によってほんと違うと思う。僕自身もベンチャーだから別にベンチャーを否定しているわけではないけれど、例えば、“同じようなスマホゲームで一発当てて、株をバイアウト、その繰り返し”みたいな、一過性の事業やその働き方は、僕には魅力的に映らないし、肌に合わない。僕は、「誰もやってない場所で誰もやっていないことをビジネスにして、それを地道に育てていく」のが好きみたい。だから、ほんとなんでも人それぞれだと思う。

助っ人編集部  

私自身とても勉強になるお話で、色々なことへの考え方が少し変わりました。それで、今はどんなお仕事をされているのですか?

野口氏  

あ、結局今何やってるかって話をまったくしてないね。笑 第2弾のさわりとして少し話しておくと、今は、日本の伝統衣装“着物”を現代的なアイテムに蘇らせることをやってる。純国産でジャケット1着2500ドルみたいな超高級なものを作ってます。

助っ人編集部  

着物!!すごく気になりますその話。笑 でもミャンマーがきっかけで、ってことですよね。第2弾でまた詳しく聞かせてください!!本日はありがとうございました!

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野口智瑛

野口智瑛

慶應義塾大学商学部4年 在学中。 神奈川県相模原市出身。 1993年11月8日生まれ(22歳)。 2014年 4月下旬 大学を休学しミャンマーへ渡航。同国最大都市ヤンゴンに居住。  日系アパレル検品会社FURUSHIMA MYANMAR Co.,ltd.でインターンシップとして働く。(12月まで) 11月 インターンシップで働きながら途中から同時並行で行っていた、ミャンマー人仕立屋Munich Tallor Co.,ltd.と提携し、日本人駐在員向  けに格安オーダーメイドスーツを提供する”出張仕立屋”を起業する。 12月 十日町産からむし織を利用したジャケットの試作品をミャンマーにて制作。 2015年 2月 帰国・復学する。”出張仕立屋”による現地販売実績は4ヶ月で約80着(現在130着超)。 7月 合同会社Ale Mocole(アレ・モコレ)を設立し、千年ブランド事業を開始。 11月 千年ジャケット第1号試作品完成 12月 日本政策金融公庫・リクルートキャリア主催「第3回NlCeなビジネスプランコンテスト」優勝     十日町市主催ビジネスコンテスト「トオコン2015」最優秀賞受賞 2016年 3月 セイノーホールディングス主催 地方創生ビジネスプランコンテスト「カンガルー」優秀賞受賞 7月 株式会社Ale Mocole(アレ・モコレ)設立予定(合同会社からの組織変更)

助っ人編集部

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