カギは“いかに現地の人の心をつかめるか”ということ~デザインを通してベトナムの起業活動を支援する倉木代表~
- もともと勤めていた会社での経験が副業へ。
- 様々な事に挑戦しながら海外へ目を向ける。

もともとは、どのようなお仕事をされていたのですか。
ある自動車メーカーに勤めてたんですよ。販売促進部でのカタログ制作。でも、カタログを作る当日になっても、設計部門で手直しがあって情報が出てこないことが結構ありました。間に合わないから、デザイン事務所に行ってデザイナーと一緒に徹夜して、朝4時に1文字貼り込んで終わりっていう。
当時は、紙をカッターで切って貼るんですよ、スプレーのりで。当時のデザイナーは、スプレーのりを吸い込むから、みんな肺を悪くしていました。そういう環境でしたね。
学生時代に、インドへ留学して、ニューヨークに行って半分学生、半分プー太郎みたいなことをやっていて。当時Apple2が出てきて、デスクトップパブリッシングというのが海外で出始めた頃で興味を持っていました。その2年ほど後に、会社に入ってそんな手作業をしていて。
米国はDTPが始まっていると知っていたので、会社に頼んで、Macとレーザープリンターを買ってもらいました。自分の机にどーんと置いて、設計部門からくるデータを自分がタイプして、写植に出せるギリギリまで自分で設計して、デザイナーに渡していました。
すると、デザイナー事務所さんが会社に来てすごいなという話になって。「教えてください」「いやこれ高いよ」「じゃこれ買いますから輸入もお願いします」という話になり、会社に内緒で、私が勝手に輸入して販売していました。
代理店みたいな感じですか
代理店というか、米国から買ってデザイナー事務所に入れて、DTPとはなんぞやみたいなところから、教えていました。そのうち副業の方が忙しくなっちゃって。「あれが分からない」「これが分からない」って、いろんなデザイン事務所から、うちの会社の販売促進部に電話がかかってくるわけですよ。携帯電話がないからね。
それで昼間は会社で仕事をして、夜はデザイン事務所を回って、メンテナンスもしたり、アドバイスをしたりしましたね。40、50社入れたんじゃないかな。結局副業が本業になって、会社を辞めて立ち上げようってことになって始めました。それがきっかけです。
28年前。28歳のときです。まだ世の中にないものに触れられているというのが非常に楽しくて。当時インターネットはなかったんですよ。93年ぐらい。91年、92年かな。新しいものが好きなんです。大体世の中、広まっていくところでみんな起業してやれば大きくなるんですよ。
そこからベトナムに来られるまでは、どうされていたんですか。
47歳まで日本にいましたね。90年代は、仕事は順調だったんですよ。ただ大手が出てきて競合も増えてくるから、珍しくなくなると大手に行っちゃうんですよね。講演会に呼ばれて話したり、デザイン事務所でサポートしている仕事が多かったです。
デザイン事務所があって、プロダクションがあって、代理店もあって、足りないような相談がきたところをうちが作っていました。
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