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地方起業家インタビュー

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地方起業
地方×インタビュー
香川県
2019.01.31
日本一小さな県で抱く大きな夢〜香川県で食や農業支援で起業!
岡本裕介さんは2018年4月、生産者と消費者をつなげるプラットホームを作りたいと、農業や食品分野に特化した経営コンサルティングを行う「食の劇場」を起業しました。金融機関で農業・食品分野のサポートをしていた岡本さんがこれまでに関わった生産者は、1,000人を超えるといいます。その圧倒的な経験とネットワークを活かし、生産者の経営コンサルティングや生産現場の仕事と食品に対する正しい知識を世の中に届ける活動を香川で展開しています。岡本さんのこれまでと、これからを聞きました。 金融公庫から銀行、そして起業へ 助っ人編集部 まず、岡本さんのこれまでの経歴を教えて下さい。 高校卒業まで岡山県で過ごし、香川大学法学部に進学しました。その後、2004年4月に、農林漁業金融公庫(現:日本政策金融公庫)に就職しました。最初は福岡支店に配属され、福岡県と佐賀県の農業を経験して、その後、高松支店に異動になり香川県に帰ってきました。金融公庫に8年勤めて退職して、2012年4月に香川県を拠点とする百十四銀行に入り、本部で農業や食品関連の仕事を中心に担当しました。そして、2018年3月で銀行を辞め、4月に「食の劇場」を起業して半年が経ちました。 岡本 裕介 助っ人編集部 大学卒業後、政府系の金融機関に進まれましたが、もともと興味があったのですか。 就職氷河期の真っ只中だったこともあり、大学で学んだ法律の知識を活かせる公務員を志望していましたが、いろいろ調べる中で政府系金融機関に興味を持ち、最初に内定をもらった農林漁業金融公庫に就職しようと決めました。業務内容をよく理解せず、漠然と農協の仕事や事務作業のイメージを持っていましたが、仕事を始めてみると生産現場に出ることがとても多くて、いつの間にか農業の知識が身に付いて、農業が大好きになっていました。 岡本 裕介 ただ、金融公庫は全国転勤がある仕事なので、結婚して子どもができると、転勤は大変だなと感じるようになったことや、香川県の生産者ともっと長く関わっていける仕事がしたいと思い、百十四銀行に農業を担当できる部署があったので、お世話になろうと考えました。当時の仕事は、一次産業や食品に関係する経営の相談業務でした。農業で起業したい、商品開発したい、会社で農業部門を作りたい、本当に様々な問い合わせがあり、銀行員ながら本当に様々な仕事をしていました。 岡本 裕介 先進的な取り組みを学びに愛媛県の柑橘生産者のもとへ   顧客のニーズと組織が求める成果にズレを感じて起業の道へ 助っ人編集部 どういうきっかけで起業しようとお考えになったんですか。 組織にいると、お客さまのニーズと組織が求める成果にズレがあったり、仕事の優先順位に疑問を感じたり、仕事をしていく中でお客さまの期待に100%応えられていないと感じることがありました。自分なりに農業や食品の業界を分析したときに、もっとこうしたら良くなるなという点が見えるようになって、自分の判断基準でやりたいようにやるのなら、リスクをとってでも自分でするしかないなという想いが強くなっていきました。 岡本 裕介 助っ人編集部 なるほど。すごいパワーですね。起業前、ビジネスモデルになるようなアイデアはあったんですか? 参考になったビジネスモデルは、事業の立ち上げからフードアドバイザーとして3年ほど関わった『四国食べる通信』です。編集長と元々知り合いだったこともあり、四国の生産者を取材して食材とともに消費者へ届けることで生産者を応援する事業のコンセプトに共感して活動していました。当時は会社員で副業が禁止だったため、すべてボランティアです。誌面に登場する生産者を紹介したり、食材に関するコラムを書いたりもしました。「食材を通して生産者と消費者をつなげる」こと。よく言われている話なんですけど、農業の世界では「頭では分かってはいるけどできていない」ことが非常に多いんですね。消費者と生産者が交流できる場を創出するという四国食べる通信が目指すところにとても共感していました。 ただ、食の劇場は、『四国食べる通信』とはまた異なる活動内容です。経営コンサルティングが事業の中心ですが、必要に応じて農産物や商品の販売サポートまで手掛けます。財務分析や計数管理を通してきちんと原価計算された農産物を再生産可能な適正価格で販売し、生産者の経営発展につなげます。将来的には、生産者と消費者、飲食業者などをつなぐ販売システムの立ち上げを目指しています。 岡本 裕介
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地方起業
地方×インタビュー
2018.12.31
福岡県や福岡市のベンチャー起業支援を考える
このセクションの目標は、福岡県や福岡市はスタートアップ支援・ベンチャー支援をやっているけども皆に届いているのか、届いていない人はなんで届いていないのか、どこに行けば成功するのか、 そのような話をしたいと思います。 塚本>まず自己紹介から始めましょう。僕は起業家支援を全国でやっています。Festivoという若手起業家コミュニティの代表をやっています。 馬場>サイバー大学は、2007年にできた福岡市の特区で設立されたソフトバンク100%出資子会社による株式会社立の大学です。特徴としては、学校に通うことなく学士が取れます。私は起業入門、コーポレートファイナンス、事業創造詳論等を教えています。それぞれ15時間のビデオを観てもらい試験を受けて単位を取って頂きます。起業入門では会社の経営者とはどのようなものかについてや、起業するということは社長になることだということを教えています。事業創造詳論ではビジネスコンテストに出すようなビジネスプランを教えています。今日は、福岡で10年以上起業支援をしてきた経験からお話できたらと思います。 川上>博多駅筑紫口から徒歩3分のところにスタートアップカフェBASESという、コワーキングスペース、シェアオフィスの運営を昨年9月から行なっています。アメリカ・シリコンバレーを見て、日本には起業を支援する環境が少ないと感じ、地元・福岡で起業支援する会社を作りたく、去年BASESを立ち上げました。 嶋根>モビーダジャパンというところで、スタートアップの育成支援をしてまして、5期で50社くらい投資をしました。 現在はミスルトという会社で、日本の中で起業家が育ち、世界で活躍したり、地域での課題解決する人を支援したりと、幅広い分野で支援を手がけています。
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地方起業
地方×インタビュー
新潟県
2018.11.30
鎖国させない地方起業・地方創生の成功ポイント
新潟県とベンチャー企業、起業家をマッチングさせる 伊藤:本日は宜しくお願いします。星野さんはどんなお仕事をされているんですか? 星野:東京の有楽町でパートナーオブスターズという会社を経営しています。事業内容は主にベンチャー企業のブランディング、広報PRと地方のクリエイターさん支援です。 伊藤:新潟でも事業に携わってらっしゃるんですよね。きっかけはどんなことだったんですか? 星野:もともとうちの会社のブランディング事業で、クリエイターさんを契約させていただいていたのですが、そういう方から「地元に帰っても仕事がない」「あったとしても単価を買い叩かれている」という話を聞いて。 伊藤:仕事がない、というのは地方創生の大きな課題のひとつですよね。 星野:だから、東京で仕事をいただけている僕たちが地方のクリエイターさんに仕事を回すことができたらと考え、2013年にクリエイターさん向けのシェアオフィス・SHAREBASE(シェアベース)を作ったんです。これが私の地元新潟でスタートしたきっかけです。それから新潟の経営者の方々とも接点が増えて、もっと地元に貢献したい、してほしいという声もいただき新潟ベンチャーキャピタル株式会社の取締役にも、ならせてもらいました。 伊藤:新潟でのお仕事もかなり多角的ですね。星野さんのお仕事の時間はどう配分しているんですか? 星野:現時点でいうと、ベンチャーキャピタルと自分の会社で半分ずつですね。ベンチャーキャピタルは、新たなファンドを作るところから一緒にやらせていただいていて、今は数社の投資先も担当して支援などもしています。 伊藤:地方のベンチャーキャピタルって、どういうところからお金が出ているんですか? 星野:メインでお金を出していただいているのは、新潟の地銀さん、それと新潟で上場している大手企業さん、有力企業さんです。それに加えて国の中小企業基盤整備機構というところからも数億円ファンドにご出資いただいています。新潟ベンチャーキャピタルの事業目的としては、新潟に新たな雇用を増やしたり、ベンチャーで地域を盛り上げることを掲げています。 地方発で成功するベンチャー起業家、スケールするための方法 もお読みください。 伊藤:地方×ベンチャーというと、出資先を見極めるのにも、独特な見方がありそうですね。新潟の企業だけに出資しているんですか? 星野:いえ、新潟県内の企業に加えて、首都圏の企業にもご出資しています。首都圏のベンチャー企業に対しては、新潟の企業と組めるかや、新潟の抱えている課題に対してのソリューションを提供できるかを検討してご出資をさせていただいています。 伊藤:東京にいても主旨にフィットする企業は投資対象として考えていらっしゃるんですね。 星野:そうですね。他のエリアやベンチャーキャピタルの友人たちが地方に対してのソリューションを提供できる企業を紹介してくれるので、そういうカテゴリーも検討させていただいています。 どうして新潟県?起業支援の理由は? 伊藤:そもそもの話なんですが、星野さんはどうして新潟なんですか?ご出身というものもちろんあると思うんですが、なにか究極の理由があるんですか?たとえば、魚沼産のコシヒカリがあるから、それが圧倒的にビジネスのタネとして必要だって言われたら、あーそうだなって合理性がわかるじゃないですか。京都なら圧倒的に世界的なブランドだからとか。 でも普通の地方ってそんなのなくて、いくら素敵な山や川や人があっても、どの地方にもあるから結局一緒じゃないですか。それってどういう風にお考えですか? 星野:僕も基本的には差はないと思っています。でも、ただ一つあるとすれば、新潟には現時点で応援してくれてる先輩の経営者の方々が非常に想いが強く、若手を熱心に応援してくれているので、それは非常に強い財産だと思っています。 伊藤:それはどうして応援してくれるんだと思いますか? 星野:新潟の経営者の方々は創業し事業を大きくされた、いわゆる創業経営者が第一線で多くいらっしゃり、後継に対する課題意識を強く持っていらっしゃるからなのかなあと思っています。 新潟が持つ課題と”鎖国”させないための取り組み 伊藤:新潟が特有で持っている課題はありますか? 星野:特有ということはないと思いますが高齢者の比率が急速に高まっていたり、若者が首都圏に出やすい立地のため人材流出、農業人口が減少、高齢化など他の地方にもある課題が新潟にもあるという感じで、新潟特有の課題ということはないと思っています。 伊藤:やはりどこの地方も大変なのは若者・人口ですよね。 星野:はい、危機感は強いと思います。というのも、新潟県は明治時代までは日本で最も人口が多かったと言われています。その頃は港主体で取引がされていたのでマーケットも大きかったんですね。それが、内陸の交通手段が良くなって、東京へ集中して、新潟からは人がどんどん流出していきました。 過去が良かったからこそ、徐々にシュリンクしていく新潟をどうするかには、危機感を持っています。 伊藤:上の世代の危機感が強いんですね。星野さんから見て、新潟の中で若手でシード段階のベンチャーって結構いるんですか? 星野:少ないですが、学生で起業したいとか関心がある方もいます。でも実際、新潟県内にそういった起業・ベンチャーに関するリアルな情報は少なかったりするので、どうせ起業するなら情報が集まっている東京にと、感度の高い人は東京に出てきちゃっていますね。 伊藤:分かります。僕もいろんな地方行ってみて、地元の人たちも地方の中から起業家を出したいと思っているはずなんですけど、地方の概念にこだわり過ぎちゃうと、ただの鎖国みたいな話になっちゃうんじゃないか?とも思うんですよね。サケが川で生まれて海で育って帰ってくるみたいに、人も一回東京に出しちゃって戻ってきた方が強くなるんじゃないかと感じます。 でも、地元の人達の「東京に行かないで」「地元企業に就職して」という気持ちも分かるんですが、地方や企業が生き残りのために求めている人ってそういう言われたことを粛々とやっている人ってわけでもないんですよね。新しい未来が作れるパワーがある人や、”当たり前”を壊せる人が地方にいないと、地方は良くなっていかない。 そういう意味でいうと、まだ地方でベンチャーを育てるということがわからなくて。地方を良くしようと思ったときに、今の状況ってできると思っていますか?こういう仕組みを地方に入れたほうがいいな、みたいなこともあれば教えてください。 星野:私たちも地方内の純粋培養で起業家を育てるのはかなり厳しいかなと思っています。純粋に新潟に居たまま起業してしまうと、情報も鎖国というわけではないですが、その世界だけになってしまうので、外から連れてくることが必要だと。 新潟に限らず、地方に課題があると考えているベンチャー経営者は、東京に結構いらっしゃいます。そういう人たちを、少し強引にでも新潟の課題に当てはめてチャレンジしてもらう。本当に課題解決できるのか?という実証実験は僕たちがサポートしていくので、実証できたら新潟に入ってしっかりスケール・収益を上げてもらう、というのが今構想してる理想図です。 伊藤:ずっと地元にいるメンバーは、その「よそから人を連れてくる」という考えを理解していますか? 星野:大多数の人は新潟で起業している人を応援したい、地元で頑張っている人を応援したい、と考えている方が多いように感じています。だからこそ、結果を出さないと地元の方々にも納得していただけないです。早く結果を出して、「あの人たちが来て良かったよね」と言っていただけるようになりたいと考えています。
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地方起業
地方×インタビュー
和歌山県
2018.06.12
和歌山県の起業家が事業承継で組織改革と地域ブランドの確立に成功した話
東京のベンチャー企業から衰退産業である地方の日本酒業界へ 伊藤)本日はよろしくお願いします。まずは山本さんの経歴について簡単に教えていただけますか? 山本)和歌山にある平和酒造で代表取締役専務をしております山本典正です。平和酒造は私で四代目ですが日本酒の蔵元としては歴史が長いわけではありません。山本家が酒造りを始めたのは昭和3年です。社名は「平和な時代に酒造りをする喜び」という思いを込めてつけられたと聞いています。 私は大学卒業後、ベンチャーの人材派遣会社に就職しました。新卒でベンチャーを選んだのは経営者になりたいという思いがあったからです。二年ほど我武者羅に働いて社内でのポジションも確立したのですが、健康面や体力面での不安などがあったことと、ちょうどその時期に父が病気をしたこともあり起業を諦めて実家に戻ることを決断しました。 私の父は、大手総合商社サラリーマンから母の実家である平和酒造に婿入りし経営者になりました。なので酒造りに関してはほぼ素人でした。祖父の時代は大手メーカーの下請けとして酒造りのみを行っていましたが、父は大手のビールを安く売ることで酒造の再建を果たしました。また父はパックの日本酒や梅酒の販売も行っていました。 しかし、日本酒業界全体で言うと 1972年から45年間で3割ほどに売り上げが落ち込んでいます。まさに衰退産業そのものです。それが日本酒業界の現状です。 伊藤)7割も減少したんですね…日本酒業界は衰退産業とおっしゃっていましたが、山本さんはなぜ衰退していったと分析されますか? 山本)それは、時代が変わっていくのに酒の味は変わらなかったことがひとつの要因だったと考えます。味のブラッシュアップができていなかったんです。人間の社会では30年間同じものを使い続けるのは難しいと思います。人間の感性はどんどん洗礼されていきます。ただ同じことを続けるのは退化でもあります。 伝統産業でもそれは同じです。もちろん守らなくてはならない部分もありますし、変わらないことを求められているものもあります。 昔評価されていたものと変わらないものを出し続けているのにも関わらず評価が落ちるのは、時代や受け手のニーズに商品が追いつかなくなってきている証拠です。変わらないことに価値があるものはいいですが、変わっていかなければならないもが多いというのも事実です。 紀土、鶴梅、平和クラフト 全て平和酒造で醸造している 全てはいい酒を造るために!日本酒造りに必要な組織改革 伊藤)ご実家に戻った当初、何に一番苦労されましたか? 山本)私と従業員のモチベーションのギャップですね。当時の私は「とにかくこの酒蔵を良くしよう!」「変革しようという!」とやる気の塊のようでしたから。そんな人間が戻ってきたことは、当時酒造りにやりがいを失っていた従業員にとってはあまり気持ちのいいものではなかったようです。 伊藤)なかなか埋まらない溝ですね… 山本)はい。お互いに居心地の悪さを感じていました。私が実家に戻った13年前、酒造の従業者はみんなやる気がなくどんよりとした空気感が充満しており、会社自体もやりがいが薄れていました。面談を行ってもポジティブな声はなく、「休みがない」「肉体労働が嫌」「体力的にきつい」「拘束時間が長い」など、不満ばかり聞こえて来ました。 確かに朝5時半から 夕方5時半まで拘束される酒蔵の仕事は楽ではありません。杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと※蔵で働くスタッフ)は酒造りの10月から4月の稼働期は、半年間休みがありませんでした。もちろん労働基準法には則っていますが、そう言った部分へのネガティブな声はとても多かったです。 醸造風景 蔵人の手によって日本酒が生まれる 伊藤)想像以上に大変なんですね… 山本)はい昔は泊まり込みで24時間勤務が当たり前でしたから… 麹の管理や酵母の管理もあるのでそこまで多くの休みを取ることはできませんが、それでも月最低5日は休んでもらうなど、労働条件の改善からはじめました。日本の多くの酒蔵は必要な時期だけ従業員を雇う「季節労働雇用」ですが私が戻ってからは「通年雇用」に切り替え「社員」として採用することにしました。 起業家の辛いことや不安なども合わせてお読みください。 伊藤)採用活動などはどうされていたんですか? 山本)当初人材採用は、地元でハローワークでの採用活動を行なっていました。しかし、目標もなくとりあえず地元で正社員採用してくれるなどの消極的な選択で入ってくる人が多く、モチベーションも低いので、採用してもやめていく人が多かったです。 そこで優秀な人材を採用できれば状況が変わると思い、東京の人材系会社で募集を開始しました。募集の切り口を変え、優秀な大卒者が採用できるようにハローワークではなく伝統産業の面白さを売りにマイナビで求人かけました。結果として二千人以上の応募がありました。 結果、日本酒を変えていこうというやる気に溢れた優秀な人を採用することができました。同じモチベーションで、一緒に日本酒業界を変えていけるとその時は思っていました。それを3~4年続けました。しかし、採用した人たちは半年~1年で日本酒が嫌いになってやめていったのです。二度と日本酒に関わる仕事はしない、日本酒が嫌いになったといって辞めていく従業員。最悪の状況でした。 何故こんなことになってしまったのか…私は、平和酒造全体の組織改革が必要と感じるようになりました。 伊藤)具体的には何を変えていったのですか? 山本)蔵の設備もそうですし、仕事のやり方なども徐々に変えていきました。昔、酒蔵はブラックボックスと言われ経営者でさえ立ち入れない神聖な場所でした。外からはわからない変化かもしれませんが、ブラックボックスのない「蔵元と杜氏の新しい関係」をめざしました。また福利厚生なども、考え直しました。社員の信用作りや福利厚生を充実させるのは、全ていい酒を造るために繋がると考えるからです。 伊藤)全てを変えるのにどれくらいの時間がかかったんですか? 山本)一気に何年で変えましたというより、徐々に変わっていったところが大きいです。今でも変化していますよ。気持ちを揃えることが何より大切な職種なので、従業員全員の方向性を揃えていくことには特に気を使っています。それにうちの場合は新卒のみでやってきたので。 伊藤)酒蔵さんでは斬新ですよね。 山本)そこは面白いモデルにはなったとは思います。 平和酒造で働くみなさん こちらも合わせてお読みください 【地方で起業!徳島県美馬市】 地方での起業だからこそできること!無限に広がっているビジネスチャンスを掴め! 創業期における採用についての注意点
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地方起業
地方×インタビュー
宮崎県
2018.04.06
『九州パンケーキ』の生みの親・村岡浩司に学ぶ起業とまちづくり
最初の起業、そして失敗 実家はすし屋を営んでいた。 高校に上がるくらいから実家のすし屋で一生過ごすのか、それでいいのかという疑問を抱くようになった。独立心の強い子供だったこともあり、『実家から一番遠いところに行けば自分のことを見つけられないのでは…』と考え、単身アメリカへ渡った。 根本にあったのは閉塞感のある田舎のまちから逃れたいという思いだった。当時はスマートフォンもネットもない時代。コンタクトが取れるのは手紙のみ。多少の寂しさはあったが、まったく新しい人生を見つけることはエキサイティングだった。 19歳の時、マイノリティーで英語が話せなくても頑張ればなんとかなるという短絡的な思いから大学をドロップアウトしアルゼンチンから来た仲間とビンテージのデニムなどを取り扱う輸入商社を始めた。起業の真似事のように始めた会社は思いの他ヒットした。その後、帰国して宮崎市内でも複数店舗にまで事業を拡大したが、トレンドの変化や不況のあおりを受け、1998年、28歳の時に会社をたたむことになる。 渡米してから既に10年の月日が経っていた。事業に失敗して途方にくれた挙句、高校時代には継ぎたく無いと思っていたすし屋に戻り、弟子入りを志願することになった。借金の肩代わりをしてくれて私の窮地を救ってくれた父には心から感謝している。頭を丸めて助けを乞うと、父は何も言わずに受け入れてくれた。事業の失敗で出来た借金は父が肩代わりをしてくれた。 当時はとにかく目の前の板前仕事に集中した。冷たい世間の目から逃れたくて、引きこもりたかったのかもしれない。小さな町ではすぐに噂は広がる。事業に失敗し、父に借金の肩代わりをさせたバカ息子として見られるのは耐え難かった。よく言うと修行に没頭していたが、内面は引きこもりとなんら変わりなかった。 新たな起業へ!地方でタリーズFC店出店までの道 32歳まで3年ほどすし屋で修行を続けていたが、2000年代に入ると、郊外に回転寿司や居酒屋、ファミレスなど、今まではあまりなかった和食を扱うチェーン店が増加していった。それは、寿司屋を営む身としては楽観視できない変化であった。寿司屋だけではなく、もう一つの収益の柱の必要性を感じるようになる。 10代~20代にかけてアメリカでバイヤーをやっていた時代のことを思い出した。当時、『スターバックス』に代表されるような、スペシャルティーコーヒーショップ(高品質なエスプレッソをアレンジしたドリンクメニューを提供するカフェ)が一気に全米で店舗拡大していた。1997年、銀座に日本1号店を出店したタリーズも直ぐに関東を中心に数十店舗の拡大をみせていた。 「このビジネスは必ず大きなムーブメントを起こす!」と思い、いてもたってもいられず、上京。スターバックスはもとより、様々なカフェチェーンを訪れてエスプレッソを飲み比べ、業態のリサーチを続けた。 そんな中で、僕が注目したのはタリーズコーヒー。スターバックスに比べて後発のタリーズは、ビジネスパーソンが入りやすい立地や、店内での喫煙を可能にするなど、男性客の集客にも力を入れ、特徴を際立たせて対抗していた。 そしてタリーズのリサーチを続けるうちに、コーヒー豆に対するこだわりや、その味に魅せられ、すっかりタリーズが好きになってしまい、すぐに本部に電話をし、長文メールを何度も送り地方出店の思いを伝えた。 当時タリーズ本部は、地方での出店における1号店が宮崎になるということには乗り気ではなかったが、なんとか説得し日本で初となるFC一号店出店へとこぎつけることができた。タリーズの出店を考えていると話したとき、癌の闘病中だった父は次の時代を託すと協力をしてくれた。 そして、月曜から金曜までをタリーズで働き、土日にすし屋の厨房に立つという生活が38歳まで続いた。  こちらもあわせてお読みください。 ソーシャルビジネスとは、定義、事例多数!〜社会起業家を目指そう! 地方のまちづくりを始めるきっかけ~恩人から教えられたこと 2002年タリーズ1号店を宮崎中心市街地に出店した際、出店先に選んだのは西村楽器店というビルだった。僕が中高生の頃には、若者のたまり場で、レコードや楽器を買う客で賑わっていた。文化情報発信の拠点であった西村楽器店だが、時代の流れのなかで事業を縮小し、その場所は貸しに出されることになっていた。 貸しビルの一階にはコンビニを入れるという話が持ち上がった。当時はまだ、コンビニがまちの小さな商店を駆逐しているといった風評(イメージ)があった時代。まちのシンボリックな場所がコンビニになることへの違和感がぬぐえず、西村楽器店の池田社長に直談判をした。3、4か月通いつめ、何度も怒られながらもお願いを続けた。 しばらくすると、熱意が伝わったのか話を聞いてくれるようになり、ビルの一階を貸してもらえることになった。しかし、それには一つ条件があった。それは商店街組合の理事になること。こうして最年少の理事を引き受けたことからまちづくりにはまっていくことになる。 池田社長は若い感性を育てたいという想いで、期待をかけてくれた。世代の違いから、まちづくりの手法は違っていたが、中心市街地活性化に対する熱い想いを教えていただいた。理事になってからは反対を押し切り意思を通した場面もたくさんあった。反対意見も多く、様々なことを言われていた。そんな時、社長は「やりたいようにやりたいことを貫かないとダメだ」とよく言ってくれた。 成功する起業家の特徴も合わせてお読みください。 地方起業家ならではのトリプルプレーヤーとしての葛藤 当時30代半ばという若さで商店街理事に就任し、まちでも目立つ店を経営し、新聞やニュースで特集され、まちづくりのイベントの中核的存在であった自分はヒーローのように祭り上げられた。しかし、世間の注目が集まるたびに、自分の中で葛藤は大きくなっていった 自分は事業家であり商売人。地域の盛り上がりは自分の商売が成功することと同義でなくてはならない。という考えがあった。その頃父が他界し、店も大変な時に社長である自分が店を抜け、地域の祭りやイベントの準備など駆り出されていく。本業であるはずの商売がおろそかになっていっているという事実が重くのしかかった。これでいいのかと葛藤する日々は続いた。 地方初の起業で成功・スケールする方法 宮崎で会社経営をしながらシンガポールへ~38歳で迎えた変化 2008年まで、すし屋とタリーズコーヒーの運営、そしてまちづくりとトリプルプレーヤーとして活動していたが、38歳のときにそれは限界をむかえる。そのころ、シンガポールでタリーズコーヒー本社(シアトル)のアジアパシフィック本部立ち上げの話が持ち上がった。タリーズコーヒーの創業者であるトム・タリー・オキーフ氏から直々に手伝って欲しいという打診があり、プレーイングマネージャーを卒業。会社経営をしながら1年間本拠地である宮崎を離れシンガポールへ行くという決断をする。 日本人は海外に行くことをいまだに特別にとらえている節があるが、実際はそんなことはない。例えば、小さな国であるシンガポールには国内線の概念がない。つまり、空港に行く際、必ずパスポートが必要になる。こうした、空港に行くことイコール海外に行くことという国はたくさん存在する。彼らは日本人が国内に行くことと同じ感覚で海外へ行くのである。外国へ行くことは何も特別なことではないのだ。国境の意識は頭の中だけにあるもので、ビジネスにおいて国境は存在しない。あるのは、商取引上のルールだけ。そのことに改めて気づかされた。 『宮崎と熊本、福岡、東京など、国内での移動や商売には違和感はないのに、なぜ台湾や香港、それにシンガポールなどの海外の展示会に行くことは特別に感じてしまうのだろうか。移動時間で考えたら宮崎と東京、台湾は同じくらいの距離。新幹線も通っていない宮崎から見れば、外の世界は国内であろうが海外であろうが、須らくグローバルだろう。』 10代の頃に感じていた感覚を38歳にして取り戻すことができたことは大きな収穫であった。それは、経営者としてのマインドセットの転換でもあった。28歳で経験した「廃業」という変化は、避けれれない苦しみを伴う強制的な変化だった。しかし、38歳で迎えた変化は主体的・能動的に動いた結果の変化だった。 幾度も襲いかかる災害…再生をかけて挑んだ商品開発 2008年にシンガポールから戻り、その年の9月に中心市街地にCONERというお店をオープンさせる。繁華街の人の集まる場所にある空きビルを見たときに直感でカフェの経営を決意。借金をしてリノベーション。ガラス張りのおしゃれな外装のレストランを作り上げた。しかし同年、リーマンショックが起きる。当初、宮崎は関係ないと思っていたが、目に見えて人が外を歩かなくなった。店の売り上げも初年度から2年連続で2000万を超える赤字だしてしまった。 そして、2010年2月宮崎口蹄疫が発生。それはとてつもない経済的な停滞を宮崎にもたらすものだった。 「絶対に宮崎県境から口蹄疫を外に出してはいけない。」 そうした使命感のもとで、道路県境では徹底した消毒作業が行われた。県境を越え、口蹄疫が全国に広がると日本の畜産産業が終わってしまう。宮崎だけでなんとかとどめること。それが何よりも優先された。 4月、当時宮崎県知事だった東国原氏による「非常事態宣言」が発令。市街地からはたちまち人の気配が消え、観光客でにぎわっていたゴルフ場の予約もほとんどなくなったと聞く。また、県外客の激減によってホテル稼働率も急激に下がって行った。口蹄疫の発生から半年が経ち、非常事態宣言はようやく8月には解除された。年末になり少しずつだが人が戻り始め、自粛ムードを乗り越えてみんなで頑張ろうという雰囲気が作られていった。 しかし、翌年の2011年1月末 新燃岳が噴火。農産物などが大きな打撃を受けた。さらに、同年2月末、鳥インフルエンザが確認される。 そして、3月11日、東日本大震災勃発。日本が一つとなり、東北への復興支援が始まる。しかし一方で、口蹄疫で毀損した経済からの復興を進めなくてはならない宮崎は、世間の関心から取り残されて行った感覚もあった。「もしも、後一回でもこのような厄災があれば僕らの会社は生きていけないだろう」という実感を強く持つようになり、父から引き継いだ会社をもつぶしてしまう恐怖や危機感を切実に感じた。 そして、宮崎だけで商売を展開していくのは限界があると感じ、新たなビジネスを展開しようと、商品開発に取り掛かかることになった。 ひとりで商品開発~九州パンケーキミックスができるまで 友人が、のちに日本でも大人気となるハワイのカフェ、『エッグスンシングス』のオーナーをしていたこともあり、パンケーキがいずれ日本でブレイクすることは確信していた。しかし店を出す資金はなかった。 パンケーキカフェは一大ブームとなり、パンケーキを提供する店は急増した。専門店だけではなく、カフェやファミレスまでがこぞってパンケーキの販売をはじめた。大きなブームになっていく一方で、僕はスーパーマーケットでの市販ミックスに注目した。様々な店を回ってみたが、ホットケーキミックスはあっても、『パンケーキミックス』を販売している店は一軒もなかった。このマーケットに最初にパンケーキミックスを投入すれば『勝てる』という確信をもった。 当時の弊社は、口蹄疫からの経済的なダメージから立ち直っておらず、キャッシュフローも枯渇していて苦しい状態。とても開発費の捻出はできないと思い、会社に黙って一人で商品の開発を続けた。もちろん経費は全て自分持ち。社業に迷惑はかけずに開発を進めていきたいという思いで励んだが、試行錯誤の連続だった。 起案から商品の発売までにかかった時間は、実に1年半に及んだ。さまざまな想いが重なり、「九州だからこそ作れるパンケーキを正直な素材で作りたい」というコンセプトのもと生まれたのが、『九州パンケーキミックス』である。発売以降は、その理念に共感してくださったお客様による口コミで広がって行った『九州パンケーキミックス』は、やがて全国規模での展開へと広がっていった。 起業家・地方創生の旗手 村岡浩司の本  〜九州バカ世界とつながる地元創生起業論〜 2018年4月26日 全国の書店にて発売 日本の未来をつくるローカル・イノベーターたちへ!   小さなまちから生まれる価値が地域を変える。「地元」を愛し奮闘する全国の起業家に贈る熱きエール!
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地方起業
地方×インタビュー
2017.10.17
オフィスで野菜という新提案!株式会社KOMPEITO川岸代表インタビュー
30歳か60歳で起業する! ― まずは、ご経歴から教えてください。 川岸:大学を卒業後、新卒で日系のコンサルティングファームに入社しました。そこでもの製造業のお客さまを相手に5年半ほどコンサルを経験。 製造業というと第二次産業がクライアントになるのですが、「ものづくり」と広く捉えると第二次産業だけでなく、第一次産業も範疇に入ってきて、そこにある課題に着目するようになりました。ただ、第一次産業でコンサルティングという観点で課題を解決することには限界があると感じたのです。 そこで何かやった方がいいと思うようになり、自分たちでサービスをつくることができる“起業”という選択をしました。とくに当時は、5つほどのプロジェクトを並行して担当していたのですが、自分の中では1つの企業や事業に集中することができない感覚がありました。 ですので、一つの課題に尽力することによって、もっと大きな仕事ができるのではないかと考えたのです。そのタイミングで、課題があると感じていた農業にあらためて着目し、最終的には起業するに至りました。   ― 30歳で起業された理由は何でしょうか? 川岸:「起業」ということを考えた時に、当時は起業するのであればタイミングは30歳か60歳の時ではないかと思いました。結果的に30歳で起業することになったのですが、60歳というタイミングは、退職金を得て、知識や経験も持った上で起業するという形になる一方で、30歳の場合であれば、たとえ失敗しても、再就職して働くことができ、起業で借金を背負ったとしてもその後に返していける。 そう言った意味で思い切って勝負できるのが30代の強みだと思います。 また、若いうちにどんどん挑戦して、その経験を活かすというのは、結果的に転職にも有利にはたらくのではと思います。ですので、リスクというリスクはほとんどないと思います。 少なくとも、命に関わるリスクではないですよね。たとえば、家を購入するのでも数千万円の借金を背負うことになります。それもひとつのリスクです。そのようなリスクをとるのか、それとも起業してリスクをとるのかは、それぞれの判断によるものではないでしょうか。 ― 川岸さんにとって、起業の魅力はどのあたりにありますか? 川岸:農業の課題を解決するということに興味をもったこと、そしてその問題解決に尽力できるという部分で魅力を感じました。とくに農業全体で考えると、出荷額ベースで8兆円規模の市場です。ただしこれだけ大きな市場でありながら、産業構造として変化がないのが実態です。 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)などの動きもありますが、大きな変化の兆しはまだ見えてきません。むしろ、これから変わっていく可能性がある。そのような変化が起こる状況において、たとえベンチャー企業であっても世の中にインパクトを与えられるようなポジションを確立できるのではないかと思い、ビジネスチャンスとしてのおもしろさも感じて起業したのです。 人が集まっているところで売るという発想 ― 次に、御社の事業内容について教えてください。川岸:我々の事業は、冷蔵庫を企業に置かせていただき、そこで野菜や果物などをその場で食べられるような形で提供するサービスを展開しています。 キーワードは「心と体の健康」です。タグラインとして「Deliver Your Next Power」ということを掲げていますが、新鮮な野菜や果物を日常的に摂取していただくことで明日の力がつく、つまり私たちは「明日の力をお届けしている」ということになるので、それを意識して事業を進めています。 とくに一人暮らしのオフィスワーカーなどは、つい栄養が偏りがちですのでOFFICE DE YASAIでバランスをとってもらえればと思っています。 また、地方の特産品など、普段は接することがないようなものも提供しています。職場にいながらにして、地方のものに触れられるというのは楽しいですし、新たな発見につながることも少なくありません。 株式会社KOMPEITO(OFFICE DE YASAI)   前の記事←農業の現場に山積する課題に挑戦!新しい農業の仕組みを提供するプラネット・テーブル株式会社菊池紳社長インタビュー 次の記事→編集後記―私たちの暮らしに根付いた「農業×ベンチャー」の活躍  
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地方起業
地方×インタビュー
2017.09.19
地方ベンチャーと市長に聞く!地方起業の現状と未来@四日市
2017年8月4日に三重県四日市市で開催されました『ふるさと起業カンファレス』(詳細は記事最後にあります)の対談記事となります。 まずはじめに自己紹介 = 神谷さん = みなさんこんにちは。 モデレーターを務めさせていただきます、龍馬プロジェクト会長の神谷宗幣と申します。 (参考:Wikipedia龍馬プロジェクト) 2010年から大阪を中心に20-40代の政治家や経営者を集めた超党派の政治団体で、政治のことや街づくりに取り組んできましたが、足元の経済を良くしていかなければいけないと思い、このイベントを共催させて頂きました。 それでは登壇者の森市長から、自己紹介をお願いします。 ― 森智広さん ― 四日市市長の森です。 公認会計士として東京で監査法人で勤めたあと、市議会員を経て現在は四日市の市長をさせて頂いております。公認会計士と行政などの経験からこれからの四日市の話をできればと思っております。 (参考:四日市市役所の公式ホームページ) ― 山添卓也さん ― 株式会社中村製作所、代表取締役社長の山添卓也と申します。 元々はコンビナートの部品加工をしており、オイルショックで会社が傾いたのを機に展開を変えて、現在では航空宇宙・防衛・ディズニーランドのアトラクションの部品などを製造しております。 ― 野呂純也さん ― 野呂食品株式会社 株式会山武館 代表取締役社長の野呂純也と申します。 1951年に祖父が雷おこしの原料加工、製造会社として創業した「野呂食品」を、二代目の父が1989年に「しいたけ栽培」へと転換し、現在ではしいたけ栽培の会社として事業を展開しております。 詳しくは長くなりますので、最近出版させていただきました「しいたけの逆襲」をお読みください。笑 ― 伊藤健太さん ― 株式会社ウェイビーの伊藤と申します。 年間3000件以上の企業と経営を支援させて頂いており、地域の起業をその地域全体で取り組んでいかなければならないと思い、今回のイベントを共催させて頂いております。
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地方起業
地方×インタビュー
2017.05.15
「自分達でもできる」と言う成功マインドを沸き起こす~地方創生で必要なこととは~
インドネシアで日本の危機を感じ、帰国後会社を飛び出す ー「どうして徳島の海陽町で事業を始めようと思ったのか、経緯やきっかけを教えてください。」 高畑「もともと、大学在学中に先輩がベンチャーを立ち上げて、僕もそれに参加し、新規事業創案をさせていただきました。それはそれで面白かったですが、当時行っていた事業ではお金は稼げるものの、誰が喜んでくれているのかが実感が湧きませんでした。ちょうどそう思っていた時、先輩は「シリコンバレーに行く」といって会社をたたんでしまいました。 その時僕は、就職活動の時期だったのですが、就職せずに起業しようと思っていました。でも、起業するにしても熱を注げるところが見つからなく、悩んでいました。その先輩に相談すると、「日本企業に就職すれば良いと思う。日本企業は人を育ててくれるし、熱い思いのあるプレーヤーのそばにいれば、いずれお前にも飛び火してくる」という話をしていただきました。 100人くらいのOB訪問を通して、強烈なヒト・カネ・コネを保有する商社業界にビビっときて、商社に就職すること決めました。本来は商売に携わりたかったのですが、人事部に配属されました。初めはショックでしたが、そこで経営的目線からプロジェクトに関わることができ、また部門を超えた全社員と繋がることができ、まさに商社の全貌を見ることができました。それだけ聞くと”意識高い系サラリーマン”に聞こえるかもしれませんが、毎晩のようで銀座を遊び歩いていました(笑)。 一方、その頃大学時代の先輩らが次々と独立・起業していくのを耳にし、焦っていた部分もありました。尊敬していた先輩達に胸張れる人間になることを目標に社会に出たのに、1つの会社である程度の立場を確立して満足してしまっている自分は、この後どこに向かうのか、と考えておりました。 そんな折、インドネシア赴任の話が上がり、ここで次のビジョンを見つけようと腹を括りました。現地で同世代の起業家や、インドネシアの成長を目の当たりにした時、海外から見た日本に危機感を覚えました。 その頃から帰国したら日本がかかえている問題に携われる仕事をしようと思うようになったのですが、ある時、ジャカルタのラグビーチームで一緒になった早川と意気投合し、「会社やめるか」といって飛び出しました。」  何も知らない状態からのスタート ー「その時点で、海陽町とのつながりはありましたか?」 高畑「一切ないですね。ジャカルタ赴任中に、毎晩早川と、「日本を再興するって具体的に何をやればいいんだろう」って話をしていた時に、地方創生って言葉をよく聞いていて、「そういえば、今まで自然と仕事=都市部のイメージだったけど、事業創造って地方でこそ仕事を創り出さなければいけないのではないか?仕事が都市部にしかないから、東京一極集中なんてことが起きて、子供も生まれないし、うつ病が蔓延るんじゃないか?地方で面白いことができれば地元の人も元気になるし、都市部の人も流れてくるんじゃないか?」 と考えていました。そんな曖昧な認識からのスタートでした。 僕は人事系の経験があるので、採用、研修、人事制度設計ができます。早川は、トヨタ系商社にいたので、工場管理・オペレーションができるので、2人の強みを活かしあえば、そのうち行政まで辿り着いて、よりでかい仕事ができるんじゃないかなっていう安易な考えでいたんですね(笑)。 当時お世話になっていたおじさんがそんな我々を見兼ねて、東京で活躍されているコンサルタントをご紹介くださいました。 「私たちは地方創生を目的にしてコンサルティングを行いたいんです。」と相談したところ、「地方創生をメインでやるんだったら、今頑張っている人がいる」ってことで、「地球のしごと大學」を運営しているアースカラーという会社の代表を紹介して頂きました。その方と初めて会った時に、こういう思いでこんなことをやろうと思っているんですっていう話をしたら、「やりましょう。ちょうど昨日、海陽町から、誰か派遣してくれませんかって話がきていて・・・」「行きます!」みたいな(笑)。 その時、初めて海陽町という町を知りました。当時早川はまだ駐在中だったので、夜Skypeで「海陽町ってところに行けることになったよ!」「マジか!最高じゃん!んで、海陽町ってどこ?」「オレも今調べるところ・・・徳島県のめちゃくちゃ端っこだね」って感じで。でも、「中途半端な地方でそこそこに成功するんじゃ本当の地方創生じゃない。」と思い、海陽町に来ました。」 ー「それ以外の地域は見ていないのですか?」 高畑「そうですね、その他の地域は見ていませんでした。ちなみに海陽町も移住するまで一度も訪れたことありません(笑)。でも元々、地方創生に対するアプローチとして、ひとづくりの面(=教育)にフォーカスしていたので、宮崎とか高知とか、当時大学の学部で地方創生関連の学部を創設していた大学にコンタクトを取っていました。 地域にある限られたリソースを使って事業を起こすというような大学生を育てることを目指していたんです。でも、なかなか上手く行きませんでした。やはり大学は「就職率」っていう評価軸があるので、起業家を輩出するという明確なKPIがなかったのです。そういったときに、アースカラーとの出会いがありました。」 ー「それが今から半年前くらいですよね。」 高畑「そうですね。2016年の8月に海陽町に入り、創業までは徹底的に地域資源に触れました。海陽町に来た初日に地元の祭りがあって、いきなりその手伝いに駆り出されました。(笑)」 ー「そういう意味では、見知らぬ地域に入っていくというハードルは低かったですか?」 高畑「そうですね。お陰様で地域の人達の中に溶け込むことができました。」 ー「早川さんもそのタイミングで入られたのですか?」 高畑「早川は、僕より1ヶ月前くらいから入っていました。隣町の美波町にある職業訓練のような学校に通っていました。早川は数ヶ月間スクール生でしたので、スクールの終了後、二人で一般社団法人Disport(ディスポート)の設立と事業立ち上げを行いました。」 ー「お二人での事業立ち上げまでの間は、何をされていらっしゃったのですか?」 高畑「この間は、早川と打ち合わせなどをしていました。同じ家で共同生活していましたので、毎日毎日熱い思いをぶつけ合いながら事業を検討してきました。」 しごとづくり×ひとづくり ー「高畑さんと早川さんが運営している一般社団法人Disportの事業の内容がどのように決まっていたのか、今現在何をされているのか教えてください」 高畑「Disportは、自治体向けのハンズオンコンサルティングと地域教育事業の2つの分野に事業展開しております。  まずハンズオンコンサルについて、「地方創生コンサルタント」ってよく聞くんですけど、外から来て、役場にヒアリングして、”○○道の駅 経営改革5カ年計画”みたいなかっこいい資料作って帰っていくんですよ。成果物としては最高です。しかし、実行できる人がいないから結局絵に描いた餅になる。 ハンズオンというのは、実際の実行部隊としても入り込むということです。計画立てた人間が責任持って計画を遂行する。行政施設だと尚更実行部隊を組成することが難しいので、ハンズオンコンサルという形は有効であると考えております。  道の駅などが失敗してしまうと、その失敗事例が町に残り続けてしまうんです。機能していない施設がそこにある。そうなると町の人はその失敗事例がある中で生活することになり、「この町だから失敗する」という負のマインドが作られてしまう。 だからこそ、ハンズオンで改善する必要があり、しかしコンサルという位置づけで、そこにいる職員の力で経営できるところまでと線引をする。そうすることで「自分達でもできる」と言う成功マインドを町の人たちの中に発生させることができ、「じゃあ、もっとやってみよう」という動きに繋がる。その動きを作って産業を活性化させるために、ハンズオンコンサルティングを展開しております。  そして地域教育事業について、世界初の人工知能(AI)教材「Qubena」を使用した学習塾「D-Study」を運営していきます。地方格差は学校教育にも生じております。生徒数の少ない学校は、先生の数が減らされ、教育の質の担保がなくなっていきます。  質が担保できなくなると授業の効率も悪くなり、子供達の余暇の時間を逼迫します。我々が地方創生に出した答えは、「しごとづくり×ひとづくり」です。このひとづくりの部分では、ふるさとで多様な事を学んだ子が一人でも多く、将来ふるさとの為にしごとをしたいと思ってくれるような教育シーンの創出が必要であると考えます。AIを使い学習効率を高め、余暇の時間で興味開拓をする「ふるさとしごと塾」を開講し、海陽町の教育シーンを変えていきます。 ー「それを今は海陽町を中心に行っているのですね。」 高畑「そうですね。困っている市町村は海陽町に限らないので、まずは、海陽町で堅実なモデルを創出し、スケールアウトさせていきます。」 ー「今後、一つの地域にずっと住んでいるっていうイメージはありますか?」 こちらも合わせてお読みください 地方ベンチャーと市長に聞く!地方起業の現状と未来@四日市 プロフィール 高畑 拓弥(たかはた たくや) 一般社団法人Disport 代表理事 1989年10月10日生まれ 慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒。 在学時から起業を視野に、大学OBが起業したITベンチャーで新規事業開発を経験。カンボジアでの医療ボランティアや、シリコンバレーの視察を通して、総合商社への入社を決意。 新卒採用担当では、延2万人に上る大学生へのセミナーを実施。徹底的な対話を重視した結果、例年5割程度であった内定承諾率を8割まで改善。3年目以降は、全社研修体系の見直し提言、ワークスタイルの改善に従事。2015年8月よりインドネシアへ赴任。インドネシア会社の新人事制度設計を担当。​ 人事としてインドネシア赴任中、外から見た日本に危機意識を持つと共に、地方創生に日本再興の可能性を感じているところ、早川と出会い転身を決意。 ​ベンチャー、ソーシャルビジネスの経験、商社のコーポレートマネジメントスキルを武器に、地方創生の最前線で奮闘。 一般社団法人Disport  
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地方起業
地方×インタビュー
徳島県
2017.05.15
徳島で起業した先輩との距離が遠い~徳島県における起業環境の実態とは~
1.サラリーマンからの起業 ー「徳島県を中心に様々な地域でご活躍ですね。まずは簡単に自己紹介をお願いします。」 畑「畑英文と申します。私はもともと22年間、創業間もないある種のベンチャー企業や上場企業で働いていましたが震災を機に働き方・人生の過ごし方を深く考え、熟考の末、サラリーマンをやめる決意をしました。 地元徳島の人や企業と一緒にできる仕事、地元徳島という地域に密接にかかわることができる仕事をしてみようと思い立ち、会社を始めました。当時、立ち上げはとても大変でしたが、東京の企業さんからすぐにお仕事をいただくことができました。 ちょうどサラリーマンをやめる決意をした2011年の7月に、徳島県で「サテライトオフィスプロジェクト」が立ち上がりました。 サテライトオフィスプロジェクトとは限界集落の再生プロジェクトとして、徳島県でスタートしたプロジェクトです。震災を機に、日本の中で会社経営のあり方、ワークライフバランスが考え直され始めた時期でしたので、このプロジェクトはその時流に乗っかり、今では全国に波及する新しい働き方の代名詞ともいえる程大きく成長しました。私は、このプロジェクトに最初からボランティアとしてかかわっていまして、もうかれこれ五年がたちます。」 ー「現在はどのようなお仕事をされていますか?」 畑「今、私は3つの仕事をしています。1つ目の仕事は、先ほど述べたサテライトオフィスプロジェクトでの企業誘致を行っていたのですが、その時の実績を評価して頂き美馬市や鳴門市その他地元の自治体の企業進出場所としてのプロモーションや誘致活動を支援しています。また、このサテライトオフィスプロジェクト関連で集まってくる県外企業の経営者さん達から経営スタイルや経営手法のアイデアを頂き、自分の中で再構築して、様々な企業さんに情報提供しています。 2つ目は、地元企業のお手伝いです。地元のネットワークを使い、人を介してお話を頂き、22年間のサラリーマン時代に得た経験を基にして、企業のお手伝いをしています。例えば、上場準備、海外進出、経営ブレストのファシリテーション、採用、社員教育リーガル支援、予算作り等を行っています。事業活動においてスペシャリストを要するものの永続的には必要としないようなプロジェクトや仕事、またそのリソースが一定期間だけ足りない、そうしたスペシャリストを育てたいという企業への支援です。 そして3つ目は、創業の支援です。これが一番やりたいことなのですが、私の事業としてはなかなか難しいです。なぜなら創業時には資金もショートしがちで、そうした創業者にサービス料を頂くことが難しいわけです。 それら以外では、徳島県在住のフリーランスのエンジニア達とアプリケーション開発やシステム開発のチームを作り、プロジェクト毎に最適なメンバーをその都度組成して開発にあたります。いわばランサーズさんの、顔の見える地域コンパクト版のようなものです。これまで、植物工場の照度管理ソフトや、野菜の出荷管理ソフト、スポーツ店が扱うユニフォームデザインのシミュレーションソフト等を開発し、徐々に地元での活躍の場が広がってきました。 ー「畑さんは起業支援を行っていますが、徳島に同業社さんはいますか?いるのであれば、具体的にはどのようなことをされていますか?」 畑「私のようなフリーランスで企業支援を行っている人は、あまりいないでしょうね。やっていても、金融機関の中の創業支援窓口のようなセクションや中小企業機構さんのような少し公的な場所で起業相談は行っています。 具体的には、どういった補助金があるのか、その補助金を得るためにはどうすればよいのか、事業計画はどのように作成するのか、営業の仕方や、税金のお話といったテクニカルな相談に乗ってくれる場所です。ですが、創業者にとって、もっとも必要とされることは、深い関係に裏打ちされた精神的な支えとなったり、仲間作りをしたり、さらには仕事を提供できれば、それが最高だと思います。机上の話ではない、リアルな苦悩にどれだけサポートしてあげられるかが大切と考えています。」   2.起業をしにくい空気を打ち破る ー「徳島県の起業環境をおしえてください。」 畑「徳島は、起業しようという雰囲気が満ちているとは言えません。起業し成功した先輩達と、これから起業しようとする人との距離が遠くて、特別なことと感じている人が多いと言うことかも知れません。そういった状況ですので、環境は未熟であるといえます。実際、起業する人は県外からやってきている人が多いです。 しかし、悪い面だけではなくいい環境もあります。たとえば、徳島の起業環境の特徴として、ネット環境を他県と比較した場合、群を抜いて整備されていることが上げられます。実際に、県外からやってきたサテライトオフィスとして進出した企業が42社になりました。徳島県に魅力がなければやってこないし、これだけの企業が徳島県に目を向けてくださっています。」 ー「未成熟な環境について言及されましたが、一番の原因はなんでしょうか?」 畑「先に述べたとおり、一番足りないのは徳島で起業し、成功した先輩達が身近に感じられていないということです。成功した先輩たちの話を聞いたり、成功した事業の現場を見たりする機会もほとんどありません。起業セミナーということで、東京から起業家さんがいらっしゃいますが、セミナーが終わればすぐに帰ってしまいますので、聞き手と深い関係になれず、むしろ特別な存在として映ってしまい、逆効果です。 また、そうしたセミナーでは失敗談を題材にすることは少ないです。起業した人たちは、人一倍失敗や苦労していると思います。けど、そういった話は中々表に出てきません。私は自身の独立後の苦労や、これまで見てきた失敗事例を紹介するようにしていますが、成功だけでなく失敗を含めた実例を知る機会が少ないのも原因だと思います。」 ー「では、それらを解決するためにはどのような解決策があると思いますか?」 畑「現在、徳島市は、同じ徳島県内の美波町や神山町といった過疎の地方と比較した場合、むしろ起業環境面で遅れているのかもしれません。ですから、そのような一歩進んだ場所から人材を輸入して、徳島市、徳島県全域を底上げして盛り上げていけばいいと考えています。サテライトオフィスから誕生した起業家さんたちは、先進的な考え方をしていています。ですので、彼らに手伝って頂けたらいいですね。 今年の目標として、私は起業家を結びつけるハブになるような場所を作ろうと考えています。現在、徳島市内には起業家が集まって熱い思いを語り合う場所がありません。そのような場所を作ることで、徳島市の起業環境を活性化していきたいと考えています。それだけでなく、従来から徳島市にいる企業の社長さん達と彼らを会わせることも考えています。現在、そのような交流自体がありません。 私は、起業家と地元企業の社長双方の交流を促すことで、地元企業は起業家から気づきを得られるだろうし、起業家さん達も新しいことを学ぶことができると考えています。それだけでなく、相乗効果で新たなビジネスが誕生するだろうと考えています。このような企業間の交流を図り、起業環境の改善に邁進していくつもりです。 以上のようなことだけでなく、今、私は「企業における社員の交換」を各所に提案しています。どういうことかというと、社員が一社にずっといるのではなく、いくつかの会社に行って働くといった新しい働き方です。 なぜそのようなことを提案しているかといえば、例えば、新卒の人が東京で就職をしようと思ったとき、一社にしか就職できません。しかし、新卒の人はどの会社がいいか悩んでしまうこともあります。そこで、この制度を使うと同時に三社入社ができますよ、といった面白い・新しい働き方ができる。それによってIターン、Uターン促し、若い子を地元へ呼び戻す。社員の交換で、若手社員の知識や経験の幅を増やす。 その結果として、ビジネスパーソンとしての生産性も向上しますし、起業も促進できると考えています。行政として動いてもらえるところはどんどん提案して環境を変え、自然と起業しようと思えるような枠組みであったり、起業しやすい雰囲気を作っていきたいです。あとは「心根(こころね)」のサポーターを増やして生きたいです。お金や人脈を求めて支援するわけではなく、心からその人の事業や熱い思いを応援していきたいと思うサポーターを増やしていきたいと思っています。」   3.コンシェルジュへコンタクトを取ってみる ー「この記事を見て「何かしたい」「チャレンジしたい」と思った人に対して、どのようなアクションを次の一歩としてオススメしますか?」 畑「やりたいことを、とことんはっきりさせること、そしてそれを誰かに話してみることだと思います。何をしたいかって、意外と突き詰めることなく、行動することが多いかも知れません。京セラ創業者の稲盛さんの言葉に、「準備は悲観的に、行動は楽観的に」というのがあります。悲観的というのは暗く考えると言うことではなく、周到に慎重に行うということです。その企画や準備を周到に行うためには、徳島のような地方の環境でじっくりと考え抜き、そのやりたいことを誰かに聞いてもらうことで、気づきがあるし、勇気ももらえるかもです。そんな「誰か」が徳島にはたくさんいます。 ー「徳島県で起業したいと思う人たちに何かメッセージをお願いします。」 畑「私は今、「ナイストライ」をキーワードにしています。まずは、地元徳島を何かにチャレンジしたこと自体を称えられるような場所にしたいと考えています。 失敗しても責められたり、蔑まれることなく、褒め称えるという人や土地の空気を創造したいのです。チャレンジする年齢も関係ありません。ある種、良質な徳島の変態がきっとサポートしてくれますし、背中を押してくれるものと思います。 今年50歳となる私も、自らが実践して、多くの人に勇気が与えられるような働き方をし、行動していきます。」 プロフィール 氏名 畑英文 職業オフィスBAMSO 代表 経営コンサルタント インキュベーションマネージャ 経歴: 徳島県徳島市出身。 大学卒業後、ベンチャー企業に入社。ベンチャーの創生期から成長期に経営に従事した経験を活かして、創業支援と、地域企業のプロジェクトサポートを行う傍ら、地元徳島を盛り上げる様々な活動に取り組んでいる。 おすすめの関連記事 ー四国で起業してみたい方へー 「地方を1から私たちと一緒に作っていきませんか?」~ 徳島県美馬市行政機関の起業支援とは~ ー何も知らない状態でのスタートー 「自分達でもできる」と言う成功マインドを沸き起こす~地方創生で必要なこととは~  
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地方起業
地方×インタビュー
2017.05.15
環境を変えないとスタートを切れなかった〜地方で作品を作るメリットとは〜
神山町との出会い ー「まずは神山町へ来た経緯やきっかけを教えてください。」 川口「生まれは静岡で、東京で十数年、CM映像制作会社でプロジェクトマネージャー、ディレクターをしていましたが、いまの働き方でよいのか、今後のことを考え、一度会社を離れました。 自分で撮ったり、形を作りたいという思いがあったので、会社をやめてどうしようかなと思った時に、東京仕事百科という求人サイトで紹介されていた「神山塾」という地域の人達と協力して町おこしする半年間の地域活性プログラムに目がとまりました。ガラっと環境を変えないと変わらないと思い、神山町へ来ました。」 ー「それに参加してみて、どういったものを得ましたか。」 川口「集まっている人たちが同じような悩みを抱えていて、そういった仲間を得ました。徳島県の県民性からか、見ず知らずの人にも非常に良くしてくれたので、生活はしやすかったです。ですが、私は今ここ神山町に住んで4年立ちますけどまだ知らないところがたくさんあります。」 ー「半年間過ごした後、そのまますぐに移住したのですか。」 川口「そうですね、移住しました。経緯としては、2012年4月~10月までがその取り組みだったんですけど、その期間に今まで僕が培ってきた技術でどう食っていくか考えました。ですが、結局映像しか無いなということが分かり、その映像で生業を作っていこうと思いました。 地方ですぐに仕事が入ってくるわけではないので、どうしようかという不安はありました。でも実は、この町にすでに個人で映像制作を生業としている人が居たんです。神山塾に入ってすぐその人の下で手伝うようになり、どうやって地方で食べていくかを間近で見ていました。塾が終わった後も、2年間その人の下で働いていました。」 ー「そこで一旦ビジネスのやり方を見せてもらったのですね。」 川口「そうですね。社員ではなく、フリーランス契約でお仕事を頂いていました。そして、もとから自分でやってみたいと言う気持ちはあったので、その人の元を卒業し、2015年6月に開業しました。」 人とのつながりで仕事をする ー「川口さんの事業について教えてください。」 川口「映像製作について仕事をしており、企画から映像撮影、編集を行っています。企画から完成まで基本的には僕が全てやって、妻がスケジュール管理や撮影のアシスタント、編集のサポート役を担っており、二人体制で行っています。徳島県内の依頼が中心ですが、県外からお声かけいただく機会も増えてきました。全国どこでも請け負うという姿勢でいます。 今は県内のお客さんが多いですから、神山を拠点にしてやっています。色々作品を作って発信するようになり、ネットや展示会で映像を見てくれた方が、遠くは地元でもある静岡から問い合わせをしてきてくれます。それはとても嬉しいことでしたね。」 ー「神山町で事業を行うメリットはなんですか。」 川口「「今は、様々な繋がりでのご依頼や、映像を見て依頼してくださる状況になりつつあります。東京や都市部でも映像制作者は沢山いると思いますが、わざわざ徳島の山奥に暮らす僕たちに仕事を依頼してもらえているので、すごく嬉しいですね。 同じレベルの仕事ができる人が居たとして、何故ここに居てここで仕事しているのだろうと興味を持ってもらえる。生き方も含めて興味を持ち、わざわざ依頼してくださるので、期待に応えたいという気持ちが強くなります。そういった意味でも、思い入れが深くなる、というメリットがあります。あと、徳島で映像を作っている人は少ないので、知り合いを通して仕事を頂けています。人とのつながりが強いので、それを通してお仕事を頂けるというメリットもあるかと思います。」 ー「起業後、うまくスタートが切れましたか。」 川口「最初は本当に0でしたが、知り合いから紹介された仕事をこなしていく内に、次もよろしくおねがいします、また次よろしくお願いしますとお声がかかり、数珠つなぎの感じで仕事をいただけた状況でした。そのような意味では、上手く行きました。」 ー「事業では、どのようなことを目標としていますか。」 川口「今後は、共に映像を制作できるカメラマンさんや、技術さんともっと出会っていき、共に映像制作ができればと思っています。」 ー「一緒に働く人が必要になった時、外から探すのですか、地元で探すのでしょうか。」 川口「それは特に問わず、出会い次第です。しかし今は、知り合いにカメラマンさんとかが居て、本当に困ったときにはその人達に助けてもらっています。そういう人を介して、照明さんや音声さんなどと出会え、必要に応じてお声かけさせてもらっています。雇うというよりプロジェクトごとでお願いをしている感じですね。」 仕事への思い ー「神山のような過疎地で事業が成立できているのはなぜでしょうか。ネット環境に依るものなのでしょうか。」   こちらも合わせてお読みください 「豊かに暮らせる「優れた素材」、地方でこそ掘り起こせる(地方創生会議リポート①)」 プロフィール 氏名:川口泰吾 職業:川口映像事務所 所長 1977年静岡県沼津市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映像制作会社に入社。 CM・VPのプロダクションマネージャーとしてキャリアスタート。 2006年、株式会社ピラミッドフィルム入社。CM、WEB、グラフィック等、多岐に渡る制作業務を担当。2008年、株式会社インサイトコミュニケーションズ入社。 映像ディレクターとして映像制作業務に携わるかたわら、 コピーライティングや企画プランニング、デザイン制作業務をおこなう。2012年、徳島県神山町に移住。長岡活動寫眞に参加。 映像編集を主業務に、DSLR撮影・編集、制作進行業務を担当。 2015年6月、パートナーの鑑子と共に川口映像事務所設立。 個人、中小企業、公共団体を中心とした2K/4K映像制作業務全般を行っている。
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地方起業
地方×インタビュー
徳島県
2017.05.15
「地方を1から私たちと一緒に作っていきませんか?」~ 徳島県美馬市行政機関の起業支援とは~
    1.補助金制度について ー「最初に自己紹介をお願いします。」 金原「美馬市役所経済建設部商工観光課の金原と申します。起業創業に関して、補助金などの支援をしています。」 石田「プロジェクト推進課でサテライトオフィス誘致を担当している石田と申します。サテライトオフィスと関連して、誘致から人のつながりができ、地方で起業したい人とのつながりも生まれてきています。都市部企業や起業を目指す人などに、美馬市内をアテンドしながら、市の色々な制度や、地域の情報を伝えるというような支援をしています。」 ー「現在、美馬市における起業・創業環境の実態を教えてください。」 金原「昨年4月から2月の頭までの10か月の間に、市内で5件の創業がありました。8月に美容室が1件と、音楽関係のものが1件、地元の人が始めた髪染め製品の小売りが1件創業しました。 あとは奈良県から移住してきた方が旅館を10月に、地元の印刷会社を経営されている方が自宅の敷地内にカフェを2月にオープンしました。私どもは起業創業をされる人に補助金を出しており、この5件の内4件がその対象となりました。さらに、3月末までに新しく中古車販売をされる予定の地元の方にも、補助金を出す予定となっています。」 ー「この補助金は国が出しているものなのでしょうか?それとも美馬市が出しているものでしょうか。」 金原「これは、美馬市が独自に行っているものです。「移住創業促進事業補助金」という制度があり、それは移住してきた人を対象に、100万円を上限として資金の3分の2を補助します。 美馬市民に対しては、50万円を限度として経費の半分の補助を出しています。現在、先ほど述べた事業で市民の事業者に3件、市外から来た事業者に2件補助金を出しています。」 ー「何の費用に対して補助を出しているのでしょうか。」 金原「店舗を借りる場合は、その賃借料です。店舗を改装する場合はその改装費や備品購入費、宣伝広告費、原材料費などに補助金を出しています。」 ー「年間の起業件数に対する目標などはありますか。」 金原「はい、あります。我々は、補助金を出す場合、国に対して「創業支援事業計画」を提出しなければなりません。その計画では、年間5件を目標にしています。今年度は達成しており、来年度も同じような補助金制度を継続すると国に申請しています。」 2.「ワンストップ相談窓口」で創業相談 ー「市として起業をする人たちに対し補助金以外ではどのようなサポートをしているのか、具体的に教えてください。」 金原「現在市役所では、「ワンストップ相談窓口」を開いており、16件ほどの創業の相談を受けています。ワンストップといっても、すべて美馬市で解決するのは難しいので、昨年12月15日に「徳島県よろず支援拠点」と言う中小企業診断士や銀行のOBの方々が相談員になられて相談に乗って頂けると言う経営相談会を、徳島市から美馬市へ出張して頂き、月一回行っています。 現在、既に来年度補助金に向けた相談が寄せられています。あと、徳島県として「創業セミナー」を開いて、起業したい方への支援も行っています。」 石田「地方では、創業や起業に関して、どこに聞いていいかわからない方々が「とりあえず役所に聞けば分かるだろう」ということで、役所に聞いてくることが多いです。 ですから、「ワンストップ相談窓口」を経由して適切なアドバイスや相談員の紹介をすることは、特に地方において起業しようと思っている方にとっては非常に重要な位置づけといえます。 具体的には、何もわからないけど何かしたい、地方で何かできるんじゃないかという人たちに対して、民間が行っている起業塾やセミナーなどの情報も提供しています。もちろん、ただ情報を提供するだけでなく、産業振興機構など関連する人や機関の紹介といったこともしています。」 3.美馬市の魅力 ー「美馬市において、起業する魅力はなんですか。」 石田「徳島県全域に言えることですが、美馬市も隅々まで光ファイバーが張り巡らされており、山の中でも高速インターネットに接続できることが魅力の1つです。加えて、環境面では、美馬市には観光名所の1つとして「うだつの町並み」という歴史的な町並みが残っていて、古民家に触れながら観光に合わせた起業ができたり、市街地で生活環境に密着した創業、例えばカフェなどの起業も可能です。 また、山の中もインターネットが使えるので、クリエイターやエンジニアのような人たちが静かに作業を行えます。このような古民家、市街地、里山という3タイプの環境があわせて存在するのは、中々ないと思います。 加えて、美馬市ではそれぞれの環境に車で10分、15分でアクセスできるのも魅力です。物理的な受け皿としては、サテライトオフィス体験施設「創~SO~」というものがあります。サテライトオフィスとしての機能はもちろんのこと、地方から移住したい・起業したいと思う人たちが、現地で地域資源を調べたり滞在できたりするチャレンジの拠点にもなっています。」 ー「伝統工芸品や特産物など、どのような地域資源があるのでしょうか。」 金原「和傘、竹製品、絹製品、藍染めです。これからそういった伝統工芸品を広めていこうと考えています。」 ー「こんな人に来て創業してほしいといった希望はありますか。」 金原「現在人材不足ですので、和傘を作ることに興味を持っている人に来て頂きたいです。もちろん和傘だけではなく、伝統工芸に興味を持ってらっしゃる方に来て制作にあたって頂けるとありがたいです。」 石田「このような工芸品の販路を広げたいと思っているので、そういう意味では、ただECサイトに商品をのせるだけではなく、例えばアジア地域に強い販路を持っていますとか、動画を使ったPRが出来ますといった独自の販路・技術を持っていらっしゃる方に来て頂けるとありがたいですね。 地方の弱みとして、この商品がどこに売れるのかというマーケティングが出来ていません。実際にマーケティング等を、創業支援を受けながら証明してくれるような起業家さんがいらっしゃれば嬉しいです。 後、光ファイバーが美馬市には張り巡らされているのですが、それを活用した企業が少ないことを感じています。今後、VR等インターネットを活かした事業などで起業をする人に来て頂けたら、地域資源との相乗効果でさらに面白い事業が生まれるのではないかと期待しています。」   ー「徳島県・美馬市での起業に興味を持っている人達に対して発信したいことはありますか。」 石田「美馬市は歴史的町並みと市街地、田園風景といった要素やさまざまな地域資源があります。しかし、写真や紙、WEBでは伝わらない部分も多いと思います。東京にいながらでも地方と一緒に仕事ができる時代ですので、新しい可能性を模索するといったことも含めて是非一度、美馬市にいらしてください。 さらに美馬市の穴吹地区では、日本で唯一、郵便番号が777となっています。うだつがあがるラッキー7のまち、美馬市で起業・サテライトオフィス進出を図れば、縁起もよく、業績も伸び、成功するかも(笑)」   ー「最後に一言メッセージをお願いします。」   石田「これを見てくださっている皆様、地方を1から私たちと一緒に作っていきませんか?また、美馬市には都会にはないものがたくさんあります。でも、なかなか写真や記事などでは伝わらないと思うので、何度も繰り返すようですが、是非一度お越しいただき、美馬市を体感していただければと思います。」 プロフィール ・金原 永茂(きんばら ながしげ)  徳島県美馬市役所商工労働課に勤務。企業誘致や起業・創業支援を担当し、美馬市創業支援計画を策定。卓球が趣味の46歳。 ・石田 貴志(いしだ たかし)  徳島県美馬市役所プロジェクト推進課に勤務。サテライトオフィス誘致や地方創生に関する企画立案を担当し、サテライトオフィス誘致からの移住や起業といった地域活性化のモデルを目指す。ギターが趣味の36歳。 おすすめの関連記事 ークリエイティブな仕事は地方でもできますー 環境を変えないとスタートを切れなかった〜地方で作品を作るメリットとは〜 ー脱サラを経てー 徳島で起業した先輩との距離が遠い~徳島県における起業環境の実態とは~  

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副業
2017.08.04
地方で生活したいフリーランサーのための田舎暮らしあるある
地方×フリーランス 今日は敢えて、一見ネガティブ?な話をします。ので、「元気な人」は読まないでください。 この記事を読んでいる皆様の多くは、東京や大阪、名古屋などの都会暮らしをされているのではないでしょうか。都会暮らしは色んな人に会えるという面ではとても楽しいですよね。…と楽しさの押し売りをするつもりはありません。 この記事を書いている私は、実は東京に10年間暮らしていました。若い内は、色んな人に会えて、色んな体験ができてとても楽しかったのですが、だんだん年を取るとともに色んなことに疲れてきました…。 その一つが満員電車での通勤です。 東京に住んでいた当時、私は乗り継ぎも含めて片道1時間半、満員電車に揺られて通勤・退勤していました。満員電車というと普通は朝のラッシュをイメージされると思いますが、結構終電近くも朝ほどではないですが、混むんですよ。特に金曜の終電や、土曜の始発は混んでました。 (たまたま、空いている車両を見つけて乗ろうとしたら、そこには、物凄い臭いと巨大な○○の海が…) そして、その後とある地方都市に転勤を機に引っ越しました。 (その当時はサラリーマンでしたが、今はフリーランサーになっています。) 職場まで、徒歩で通勤したのですが、物凄い解放感に満ち溢れた記憶が今でも鮮明にあります。また、普通に東京で暮らしていた時と同じ勢いで出社したら常に職場で一番乗りでした。ところで、私にはスウェーデン人の友人がいるのですが、朝の満員電車に乗って「クレイジー」だと叫んでいました。 とまあ、話が脱線してしまいましたが、言いたかったことは、私たちが普通と考えていることは、世界標準で見るとおかしなことが結構あるのではということです。満員電車がその一例だと思います。 今でもたまに東京に行って、満員電車に乗ることもあるのですが、「今までよく普通にこんなのに乗れてたな…」という思いで一杯になります。 ちなみに、私の職場での給料は、年収ベースではそこそこな金額(1.5近くです)だった一方で、残業時間は多い時で月200時間以上の(勤務時間ではありません。)。そして、「名ばかり管理職」でもあったので、残業代は0。 ある時本当にバカバカしくなり、自分の年収を時間単価で割り返してみました。そして、その後、気分転換に職場の近くの丸の内にある、某有名なコーヒーチェーンに入ったのですが、そこで目にとまったのが、アルバイト店員の募集ポスターです。なんと、自分の給料よりも、アルバイト店員のほうが時間単価では高かったのです! そして、もう一つ気が付いたことがありました。その当時、東京都の郊外に住んでいたのですが、同じ東京都内でも郊外にあるお店よりも時給が300~400円ぐらい高かったのです。そこで、今思えばアホな行為だったと思いますが、店長らしき人を見つけて、なんでこんなに時給が高いのか聞いてみました。 返ってきた答えが2つ 1つ目は、賃金の安い外国人を雇うとブランドイメージと合わないから (決して差別的な意図は筆者にはありませんし、答えてくれた店長にもなかったと思うのでご容赦ください) 2つ目の答えが、ポイントで、東京の中心部だと「都心まで出てくるのがかったるくて、アルバイトが集まらない」ということだったのです。 満員電車に揺られるのに、だんだん疑問を感じ始めていた当時の私は妙に納得してしまいました。基本この記事を読んでいる方は、ポジティブで活力に溢れている方ばかりだと思います。が、敢えて都会暮らしに疲れたあなたのために、本当に超ド田舎で生活していた経験のある私から、田舎でフリーランサーとして独立開業する際に知っておきたい田舎暮らしの実態をお届けします。(前振りが超長くなってしまってごめんなさい。) ちなみに、この記事は個人または夫婦単位でやっていくことを想定していますので、人を雇ってビジネスを起こしていきたいと思う方は、地方起業のメリット・デメリット・おススメの起業業種のまとめを読んでください。 1.田舎暮らしに適した業種とはまず、場所を選ばないような業種ですね。言い換えれば、在宅勤務可能な職種です。 例をあげると… ■SE(システムエンジニア)  ■プログラマー  ■CADオペレーター  ■ライター  ■イラストレーター  ■デザイナー   ■アフィリエイター ■データ入力・チェック(記帳代行、給与計算など) なんかですかね。要するにクラウドソーシング系のビジネスは全般的に田舎でも可能です。 あと、田舎でしかできないビジネスもあります。 ■農業 ■民泊(観光地であることが前提ですが…) などですね。 田舎と都会を行き来するのであれば、 ■地方の特産品のアンテナショップを都会で開く ということも考えられるでしょう。 これらのうち、「農業」での独立については奥が深いので、また別な機会に説明するとして、まずは、クラウドソーシングを行うための前提である通信環境が整っているか、そんなことが果たして可能なのか説明します。 2.意外に通信環境は本当にド田舎でも整っている! 例えば、地方の本当にド田舎出身の貴方!もしくは、親戚がド田舎に住んでいる、または住んでいた貴方! 光ファイバー網が届いているかどうか試してみてください。…届いていませんか? 届いていない?では、4G回線はどうですか? ほら、届いているでしょ。(山間部はさすがに無理ですけどね。) ということは、光回線が無理でも、無線通信でWeb環境を構築することが可能ということです。 (まあ、どうしても光回線が必要だとすれば、ただ単にもう少し田舎の中でも市街地に出ればいいだけの話なんですが…) これは筆者の勝手な予測ですが、今後は整備やメンテナンスコストのかかる有線通信網よりも、無線通信網の整備のほうにシフトしていくと思います。自動車の無人走行やIoT促進のためには無線通信網の発達が必要不可欠ですからね。なので、通信環境の整備状況に関しては現時点でもほぼ心配ない状況となっています。 3.情報格差がハンパない! 筆者は、現在とある政令地方都市に住んでいます。周りから見れば、結構な都会なはずなんですが、東京と比べると情報が5年ぐらい遅れている感じがします。なので、定期的に東京などの大都市に出て、最新の情報を仕入れる必要があります。 4.おすすめの移住エリアは? 定期的に東京に行くとなるとどうしても気になるのが、航空代金。そこで、お勧めの地域としてLCCが成田に向かって飛んでいる空港の近くに住むことを提案します。 ちなみに、「近く」とはどのくらいをイメージしますか? 地方だと、片道50Kmなんて近所のイメージ。車で一時間とかかりません。(制限速度は守りましょう。) なんかの記事で、「イオンモールまであと100Km」という看板を見た方はいませんか?あれは、都会の人から見れば???かもしれませんが、地方の人の感覚だと別に「フツー」なことなのです。少し話は脱線しましたが、東京との行き来が頻繁に必要なのであればLCCが成田に向かって飛んでいる空港の近くの地域がお勧めです。
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地方起業
地方×インタビュー
徳島県
2017.05.15
徳島で起業した先輩との距離が遠い~徳島県における起業環境の実態とは~
1.サラリーマンからの起業 ー「徳島県を中心に様々な地域でご活躍ですね。まずは簡単に自己紹介をお願いします。」 畑「畑英文と申します。私はもともと22年間、創業間もないある種のベンチャー企業や上場企業で働いていましたが震災を機に働き方・人生の過ごし方を深く考え、熟考の末、サラリーマンをやめる決意をしました。 地元徳島の人や企業と一緒にできる仕事、地元徳島という地域に密接にかかわることができる仕事をしてみようと思い立ち、会社を始めました。当時、立ち上げはとても大変でしたが、東京の企業さんからすぐにお仕事をいただくことができました。 ちょうどサラリーマンをやめる決意をした2011年の7月に、徳島県で「サテライトオフィスプロジェクト」が立ち上がりました。 サテライトオフィスプロジェクトとは限界集落の再生プロジェクトとして、徳島県でスタートしたプロジェクトです。震災を機に、日本の中で会社経営のあり方、ワークライフバランスが考え直され始めた時期でしたので、このプロジェクトはその時流に乗っかり、今では全国に波及する新しい働き方の代名詞ともいえる程大きく成長しました。私は、このプロジェクトに最初からボランティアとしてかかわっていまして、もうかれこれ五年がたちます。」 ー「現在はどのようなお仕事をされていますか?」 畑「今、私は3つの仕事をしています。1つ目の仕事は、先ほど述べたサテライトオフィスプロジェクトでの企業誘致を行っていたのですが、その時の実績を評価して頂き美馬市や鳴門市その他地元の自治体の企業進出場所としてのプロモーションや誘致活動を支援しています。また、このサテライトオフィスプロジェクト関連で集まってくる県外企業の経営者さん達から経営スタイルや経営手法のアイデアを頂き、自分の中で再構築して、様々な企業さんに情報提供しています。 2つ目は、地元企業のお手伝いです。地元のネットワークを使い、人を介してお話を頂き、22年間のサラリーマン時代に得た経験を基にして、企業のお手伝いをしています。例えば、上場準備、海外進出、経営ブレストのファシリテーション、採用、社員教育リーガル支援、予算作り等を行っています。事業活動においてスペシャリストを要するものの永続的には必要としないようなプロジェクトや仕事、またそのリソースが一定期間だけ足りない、そうしたスペシャリストを育てたいという企業への支援です。 そして3つ目は、創業の支援です。これが一番やりたいことなのですが、私の事業としてはなかなか難しいです。なぜなら創業時には資金もショートしがちで、そうした創業者にサービス料を頂くことが難しいわけです。 それら以外では、徳島県在住のフリーランスのエンジニア達とアプリケーション開発やシステム開発のチームを作り、プロジェクト毎に最適なメンバーをその都度組成して開発にあたります。いわばランサーズさんの、顔の見える地域コンパクト版のようなものです。これまで、植物工場の照度管理ソフトや、野菜の出荷管理ソフト、スポーツ店が扱うユニフォームデザインのシミュレーションソフト等を開発し、徐々に地元での活躍の場が広がってきました。 ー「畑さんは起業支援を行っていますが、徳島に同業社さんはいますか?いるのであれば、具体的にはどのようなことをされていますか?」 畑「私のようなフリーランスで企業支援を行っている人は、あまりいないでしょうね。やっていても、金融機関の中の創業支援窓口のようなセクションや中小企業機構さんのような少し公的な場所で起業相談は行っています。 具体的には、どういった補助金があるのか、その補助金を得るためにはどうすればよいのか、事業計画はどのように作成するのか、営業の仕方や、税金のお話といったテクニカルな相談に乗ってくれる場所です。ですが、創業者にとって、もっとも必要とされることは、深い関係に裏打ちされた精神的な支えとなったり、仲間作りをしたり、さらには仕事を提供できれば、それが最高だと思います。机上の話ではない、リアルな苦悩にどれだけサポートしてあげられるかが大切と考えています。」   2.起業をしにくい空気を打ち破る ー「徳島県の起業環境をおしえてください。」 畑「徳島は、起業しようという雰囲気が満ちているとは言えません。起業し成功した先輩達と、これから起業しようとする人との距離が遠くて、特別なことと感じている人が多いと言うことかも知れません。そういった状況ですので、環境は未熟であるといえます。実際、起業する人は県外からやってきている人が多いです。 しかし、悪い面だけではなくいい環境もあります。たとえば、徳島の起業環境の特徴として、ネット環境を他県と比較した場合、群を抜いて整備されていることが上げられます。実際に、県外からやってきたサテライトオフィスとして進出した企業が42社になりました。徳島県に魅力がなければやってこないし、これだけの企業が徳島県に目を向けてくださっています。」 ー「未成熟な環境について言及されましたが、一番の原因はなんでしょうか?」 畑「先に述べたとおり、一番足りないのは徳島で起業し、成功した先輩達が身近に感じられていないということです。成功した先輩たちの話を聞いたり、成功した事業の現場を見たりする機会もほとんどありません。起業セミナーということで、東京から起業家さんがいらっしゃいますが、セミナーが終わればすぐに帰ってしまいますので、聞き手と深い関係になれず、むしろ特別な存在として映ってしまい、逆効果です。 また、そうしたセミナーでは失敗談を題材にすることは少ないです。起業した人たちは、人一倍失敗や苦労していると思います。けど、そういった話は中々表に出てきません。私は自身の独立後の苦労や、これまで見てきた失敗事例を紹介するようにしていますが、成功だけでなく失敗を含めた実例を知る機会が少ないのも原因だと思います。」 ー「では、それらを解決するためにはどのような解決策があると思いますか?」 畑「現在、徳島市は、同じ徳島県内の美波町や神山町といった過疎の地方と比較した場合、むしろ起業環境面で遅れているのかもしれません。ですから、そのような一歩進んだ場所から人材を輸入して、徳島市、徳島県全域を底上げして盛り上げていけばいいと考えています。サテライトオフィスから誕生した起業家さんたちは、先進的な考え方をしていています。ですので、彼らに手伝って頂けたらいいですね。 今年の目標として、私は起業家を結びつけるハブになるような場所を作ろうと考えています。現在、徳島市内には起業家が集まって熱い思いを語り合う場所がありません。そのような場所を作ることで、徳島市の起業環境を活性化していきたいと考えています。それだけでなく、従来から徳島市にいる企業の社長さん達と彼らを会わせることも考えています。現在、そのような交流自体がありません。 私は、起業家と地元企業の社長双方の交流を促すことで、地元企業は起業家から気づきを得られるだろうし、起業家さん達も新しいことを学ぶことができると考えています。それだけでなく、相乗効果で新たなビジネスが誕生するだろうと考えています。このような企業間の交流を図り、起業環境の改善に邁進していくつもりです。 以上のようなことだけでなく、今、私は「企業における社員の交換」を各所に提案しています。どういうことかというと、社員が一社にずっといるのではなく、いくつかの会社に行って働くといった新しい働き方です。 なぜそのようなことを提案しているかといえば、例えば、新卒の人が東京で就職をしようと思ったとき、一社にしか就職できません。しかし、新卒の人はどの会社がいいか悩んでしまうこともあります。そこで、この制度を使うと同時に三社入社ができますよ、といった面白い・新しい働き方ができる。それによってIターン、Uターン促し、若い子を地元へ呼び戻す。社員の交換で、若手社員の知識や経験の幅を増やす。 その結果として、ビジネスパーソンとしての生産性も向上しますし、起業も促進できると考えています。行政として動いてもらえるところはどんどん提案して環境を変え、自然と起業しようと思えるような枠組みであったり、起業しやすい雰囲気を作っていきたいです。あとは「心根(こころね)」のサポーターを増やして生きたいです。お金や人脈を求めて支援するわけではなく、心からその人の事業や熱い思いを応援していきたいと思うサポーターを増やしていきたいと思っています。」   3.コンシェルジュへコンタクトを取ってみる ー「この記事を見て「何かしたい」「チャレンジしたい」と思った人に対して、どのようなアクションを次の一歩としてオススメしますか?」 畑「やりたいことを、とことんはっきりさせること、そしてそれを誰かに話してみることだと思います。何をしたいかって、意外と突き詰めることなく、行動することが多いかも知れません。京セラ創業者の稲盛さんの言葉に、「準備は悲観的に、行動は楽観的に」というのがあります。悲観的というのは暗く考えると言うことではなく、周到に慎重に行うということです。その企画や準備を周到に行うためには、徳島のような地方の環境でじっくりと考え抜き、そのやりたいことを誰かに聞いてもらうことで、気づきがあるし、勇気ももらえるかもです。そんな「誰か」が徳島にはたくさんいます。 ー「徳島県で起業したいと思う人たちに何かメッセージをお願いします。」 畑「私は今、「ナイストライ」をキーワードにしています。まずは、地元徳島を何かにチャレンジしたこと自体を称えられるような場所にしたいと考えています。 失敗しても責められたり、蔑まれることなく、褒め称えるという人や土地の空気を創造したいのです。チャレンジする年齢も関係ありません。ある種、良質な徳島の変態がきっとサポートしてくれますし、背中を押してくれるものと思います。 今年50歳となる私も、自らが実践して、多くの人に勇気が与えられるような働き方をし、行動していきます。」 プロフィール 氏名 畑英文 職業オフィスBAMSO 代表 経営コンサルタント インキュベーションマネージャ 経歴: 徳島県徳島市出身。 大学卒業後、ベンチャー企業に入社。ベンチャーの創生期から成長期に経営に従事した経験を活かして、創業支援と、地域企業のプロジェクトサポートを行う傍ら、地元徳島を盛り上げる様々な活動に取り組んでいる。 おすすめの関連記事 ー四国で起業してみたい方へー 「地方を1から私たちと一緒に作っていきませんか?」~ 徳島県美馬市行政機関の起業支援とは~ ー何も知らない状態でのスタートー 「自分達でもできる」と言う成功マインドを沸き起こす~地方創生で必要なこととは~  
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地方起業
2017.10.17
これからの農業に活力を!農業関連の起業家インタビュー
どうなる?これからの食糧自給率 日本の“食”を担う第一次産業。しかしここ数年、日本の食糧自給率はズルズルと低下しています。 農林水産省が発表しているデータによると、昭和40年の段階では生産額ベースの食糧自給率は86%、カロリーベースの食糧自給率は73%あったとされています。それが現在ではどうなっているのでしょうか。 平成28年度はなんと、生産額ベースの食糧自給率が68%、カロリーベースの食糧自給率が38%にまで落ち込んでしまっているのです。グラフにも現れているように、自給率の減少は、年々、進んでいるのが実情です。 日本における農業の現状 その背景には何があるのでしょうか。もちろん、海外からの輸入品が多いという原因もありますが、それは今にはじまったことではありません。 むしろ、日本における農業従事者の減少が、日本産農産物の縮小をもたらしていると考えた方がいいかもしれません。というのも、日本における農業修行人口は明らかな減少傾向にあります。 (参考:農林水産省 農業就業者の動向 2000年代には389万人いたものが、2011年にはなんと260万人にまで減少。しかもこの数字は、年を追うごとに少なくなっています。また、従事者の平均年齢もあがっているのです。 未来の農業はどうなっていくのか このような現状を踏まえると、これから先、日本の農業はどんどん衰退していってしまう可能性があります。 政府としても、いくつかの積極的な取り組みを実施していますが、将来的にどのくらいの成果をもたらすのかは未知数です。農業就業人口の減少、そして農業従事者の高齢化がこのまま進んでいけば、いつの日か、日本の農作物はほとんどなくなってしまうかもしれません。 そうなると、すべての作物を輸入に頼ることになり、安定供給への不安も高まります。 農業に着目した起業家たち このような農業の現状に危機感を抱き、課題解決に挑戦しているベンチャー企業があります。今回インタビューを敢行した5社は、いずれも農業に関わるビジネスやサービスを展開されている企業ばかりです。背景には、すでに述べた農業の現状があります。 それぞれに展開しているサービスはさまざまですが、その特徴として、販売や流通の部分で農業を支援しているのが目立ちます。各インタビュー記事を読んでいただければわかりますが、これは、日本の農業が抱える構造的な問題が関係しています。 取材先企業 今回、インタビューをお願いした企業は以下のとおりです。 ・「株式会社ヴァカボ」 広告代理店でありながら、アミューズメント施設をはじめとする農業プロモーションを展開。 農産物の新しい販売に挑戦する。 ・「プラネット・テーブル株式会社」 世界の農業・生産者支援に取り組むベンチャー企業。ICTを活用した需要予測など、 飲食店と農家との効率的な連携に取り組んでいる。 ・「株式会社ポケットマルシェ」 旬の食材を、生産者から消費者へ直接とどけられるサービス『ポケットマルシェ』をリリース。 スマホアプリからでも利用可能。 ・「株式会社KOMPEITO」 人が集まる場所であるオフィスに着目し、その場で食べられる野菜を提供する 『OFFICE DE YASAI』サービスを展開。 ・「株式会社農業総合研究所」 「農家の直売所運営」「農産物流事業」「農業コンサルティング事業」の3事業を柱に、 幅広い観点から農家を支援している。 起業というカタチで農業の活性化に挑戦する 農業を活性化することによって、食の未来を守っていくこと。それは、消費という部分でも、あるいは雇用という部分においても重要なことです。それでは、日本の未来を守るために、挑戦を続ける起業家のインタビューを見ていきましょう。 今回の対談 ・野菜を集客のきっかけに!365マーケットを展開する株式会社ヴォカボ代表長岡氏インタビュー ・生産・販売・流通を経て。誰よりも農業の現場を知る農業総合研究所・及川氏が描く農業の未来とは ・生産者と消費者をつなぐ!ポケットマルシェCOO・本間勇輝氏インタビュー ・農業の現場に山積する課題に挑戦!新しい農業の仕組みを提供するプラネット・テーブル株式会社菊池紳社長インタビュー ・オフィスで野菜という新提案!株式会社KOMPEITO川岸代表インタビュー ・編集後記―私たちの暮らしに根付いた「農業×ベンチャー」の活躍 おすすめの関連記事 ー農業で稼ぐにはー 農業は稼げる?~農業起業の成功法則〜 ー脱サラからの農業は?ー 脱サラして農業は失敗する?失敗してる人と成功してる人の違い
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地方起業
地方×インタビュー
2017.09.19
地方ベンチャーと市長に聞く!地方起業の現状と未来@四日市
2017年8月4日に三重県四日市市で開催されました『ふるさと起業カンファレス』(詳細は記事最後にあります)の対談記事となります。 まずはじめに自己紹介 = 神谷さん = みなさんこんにちは。 モデレーターを務めさせていただきます、龍馬プロジェクト会長の神谷宗幣と申します。 (参考:Wikipedia龍馬プロジェクト) 2010年から大阪を中心に20-40代の政治家や経営者を集めた超党派の政治団体で、政治のことや街づくりに取り組んできましたが、足元の経済を良くしていかなければいけないと思い、このイベントを共催させて頂きました。 それでは登壇者の森市長から、自己紹介をお願いします。 ― 森智広さん ― 四日市市長の森です。 公認会計士として東京で監査法人で勤めたあと、市議会員を経て現在は四日市の市長をさせて頂いております。公認会計士と行政などの経験からこれからの四日市の話をできればと思っております。 (参考:四日市市役所の公式ホームページ) ― 山添卓也さん ― 株式会社中村製作所、代表取締役社長の山添卓也と申します。 元々はコンビナートの部品加工をしており、オイルショックで会社が傾いたのを機に展開を変えて、現在では航空宇宙・防衛・ディズニーランドのアトラクションの部品などを製造しております。 ― 野呂純也さん ― 野呂食品株式会社 株式会山武館 代表取締役社長の野呂純也と申します。 1951年に祖父が雷おこしの原料加工、製造会社として創業した「野呂食品」を、二代目の父が1989年に「しいたけ栽培」へと転換し、現在ではしいたけ栽培の会社として事業を展開しております。 詳しくは長くなりますので、最近出版させていただきました「しいたけの逆襲」をお読みください。笑 ― 伊藤健太さん ― 株式会社ウェイビーの伊藤と申します。 年間3000件以上の企業と経営を支援させて頂いており、地域の起業をその地域全体で取り組んでいかなければならないと思い、今回のイベントを共催させて頂いております。
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地方起業
香川県
2018.02.11
香川県でIUJターン・移住・起業する方必見!押さえておくべき基礎知識!
香川県の概要 四国の北東にある香川県には、降水量が少なく日照時間が長い典型的な瀬戸内海式気候のもと、人口96.19万人(2018年10月1日現在)が暮らしています。最近では「うどん県」のプロモーション活動や、「瀬戸内国際芸術祭」など、香川らしさを前面に押し出した特徴的な活動にも注目が集まっています。 県下では多彩で豊かな海産物や農産物が育まれ、世界トップシェアを誇る製造業が県内の産業を牽引しています。県土は1876.73 km2で、全国で最も小さいことでも有名です。県下の瀬戸内海には100を超える島が点在し、「直島」や「小豆島」を筆頭に、瀬戸内海に浮かぶ島々が織りなす風景はまさに絶景です。 起業面では創業を目指す人を後押しする補助金や融資制度が整うだけでなく、起業のアイディアを実現したい人に向けた起業塾が用意されています。移住面では、子育て支援や移住者に対する補助金制度が揃い、香川県の恵まれた環境で新しい暮らしを実現したい人をバックアップする体制が整っています。 香川県の気候  1年を通して晴天が多く降水量が少ない瀬戸内海式気候です。日照時間が長く、製塩に向く気候のため、古くから塩田の盛んな土地としても知られています。四国の北東に位置し、降水量が少ない夏場は、水不足となることも多く、県内には水不足に備えるため池が数多く存在しています。 香川県の観光・地域資源 「世界の宝石」とも呼ばれる美しい瀬戸内海を堪能できる香川県。 瀬戸内海を隔てて、日本の歴史の中心地であった畿内にも近く、県内に数多く存在する史跡や文化財などが歴史の激動を物語っています。代表的なのは、古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれる金刀比羅宮。 海の守護神としても多くの参詣者を集めていますが、境内には由緒ある御社や御堂が点在し、文化財が多数存在することから、観光スポットとしても有名です。香川県坂出市と岡山県倉敷市を結ぶ全長9368m瀬戸大橋は、鉄道と道路を併用する世界最長の橋です。 丸亀城は1658年より明治維新に至るまで京極氏丸亀藩6万石の居城でした。その石垣は60mを超える高さで日本一です。最近では瀬戸内国際芸術祭の開催によって、アートの県としても広く認知され、国内外から観光客を集めています。 香川県の交通 空の玄関口は高松空港です。 東京と沖縄便が就航しています。高松は他の四国の都市と比べ、国際線の種類が豊富です。ソウル、上海、台湾、香港と高松を結ぶ便が揃っています。 陸路では、JR岡山駅から約1時間で移動が可能です。所要時間は東京駅からは約4時間半、新大阪駅からは約2時間かかります。高速バスだと、新宿—高松線が約10時間半、大阪—高松線が約3時間半です。県内の移動の際にはJR四国の高徳線(こうとくせん)や土讃線(どさんせん)が便利です。バス路線では、ことでんバスや大川バス(大川自動車)が使いやすいです。他に、神戸港と高松東港を結ぶジャンボフェリーを始めとするフェリー航路も充実しています。 香川県の主要産業 平成27年度香川県県民経済計算推計によると、県内の名目県内総生産は3兆7780億円で、2年連続で上昇しました。香川県の産業別構成比は、特に第三次産業が占める割合が高く7割を超えています。業種別では製造業・卸売・小売業・不動産業の順に売り上げが大きいです。製造業では、建設機械、造船、自動車部品など、世界や国内でトップのシェアを誇る企業が多数あります。農業では温暖で日照時間が長い気候を生かし、はだか麦やレタス、ブロッコリー、柑橘類など幅広い作物が育てられています。豊かな海域特性を生かした水産業も盛んです。 香川県の有名企業・老舗企業 香川県の総事業所数は、2016年現在で4万7893事業所(出典:平成28年経済サンセス)です。県内の有力企業は、東証一部上場企業で、クレーンメーカーの株式会社タダノ。次に世界有数のシェアを誇るクレーンメーカーの日プラ株式会社。ほかに、東かがわ市に本社を構える医薬品メーカーで、湿布に用いるパップ剤のシェア世界一である帝國製薬株式会社などです。 香川県の起業・独立、起業支援情報 平成27年の国勢調査によると、香川県内の労働人口は約47.1万人でした。平成29年就業構造基本調査によると、香川県内の収入を得ることを目的に働いている有業者49万1200人のうち、3万8500人が自営業もしくは会社役員などの起業家です。有業者のうち、約7.8%が起業家です。 起業支援団体 公益財団法人かがわ産業支援財団では、創業を目指す人を対象にした「かがわ創業塾」ほか、相談窓口を設け個別の相談にも乗ってくれます。ほかに、「かがわ6次産業化 ビジネス塾」という第6次産業に特化したビジネス塾など特色のあるイベントなどが開催されています。 融資・補助金 香川県内で創業を目指す人や、創業間もない人を対象にした「起業等スタートアップ支援補助金」があります。要件を満たす人は、初期投資に必要な経費の一部を最大50万円補助してもらうことが可能です。他にもベンチャー企業に対する融資制度なども整っています。 女性起業支援 香川県では日本金融政策公庫や百十四銀行が、起業を目指す女性を応援する制度を設けています。セミナーや相談デスクなどで、各々の目的にあった内容を相談、実現に向けた手伝いをしてくれます。 セミナー 香川県や関係団体は、起業・創業を目指す人を対象にしたセミナーやイベントを随時開催しています。最新のイベント情報は、県公式HPや各団体のイベント情報でチェックしてください。 香川県のIUJターンなどの移住に関するサポート 助成金 香川県の各市町では、住宅・子育て・起業など移住する人を対象にした様々な助成金制度を設けています。移住した人を対象にした家賃補助制度は好評です。助成金の詳しい情報はこちらからご確認ください。 子育て 地域全体で、子育て支援を行っています。NPOの活動も積極的に展開され、移住した人でも気軽に相談できる体制構築を目指しています。6歳未満児の医療費の無料化などにも取り組んでいます。詳しい情報は香川県健康福祉部子ども政策推進局の「子育て県かがわ情報発信サイト Colorful」に集約されています。 移住体験事業  IUJターンの人を対象にしたイベントが随時開催されています。特徴的なのは「お試しかがわ暮らし」です。コーディネーターがそれぞれの希望や知りたいことに沿ったプランを練ってくれる制度です。イベント情報はかがわ暮らしに更新されるので、最新の情報を確認してください。 おすすめの関連記事 ー地方起業を学ぶ!ー 地方ベンチャーと市長に聞く!地方起業の現状と未来@四日市 ー田舎で暮らそう!ー 地方で生活したいフリーランサーのための田舎暮らしあるある

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