人から選ばれるために必要なこととは?意外にできない簡単なことを当たり前に行うこと!

ポイント
  1. 1年目の成功から一気に店舗拡大!初めて知った黒字倒産の恐怖!!
  2. 何よりも圧倒的に自分が楽しむこと!その姿に従業員はついてきてくれる

目次 [非表示]

就職氷河期に大手広告会社に入社!大勢の中のライバルの中から選ばれるための戦略とは?

澤田)「株式会社シェンゲン」の代表取締役をやっております澤田修司と申します。

弊社は現在4期目、次が5期目の会社です。24歳の時に独立して、いま流行りのゲストハウスを始めました。ゲストハウスを開業するには数千万円の投資が必要になるんですけど、24歳のなんの実績もない人間が多額の投資から事業を始めるというのはあまり例を見なかったようで、いろんな人が面白がってくれました。

約4年間で旅館業だけでなく、アートの販売事業や、保育園運営など3つをメインにやらせてもらっています。

伊藤)ゲストハウス開業の時が24歳って結構若いよね。前職も結構いい会社にいたのに、独立ってどういう風に決めたの?

澤田)大学時代から自分で何かしらの事業をやりたいなっていうのはあったんです。大学時代はバックパッカーで海外にもよく行っていました。

その中で「ゲストハウスをやろう!」というのはある程度早い段階から決めていました。大学卒業後すぐに起業しなかったのは、ゲストハウスを始めるために数千万円の投資が必要だというのを知ったことと、一度は社会にでて働いてみたいと思ったからです。

とりあえず3年は勤めようと決め、新卒で広告代理店のD社に就職しました。

伊藤)もともと、D社って優秀じゃなければ入れない企業だと思うんだけど、そんな企業に就職できた理由ってなんだったと思う?

澤田)僕の最終目標はゲストハウスをやることだったので、「そのために広告も大事だな!よし広告代理店に就職しよう!」くらいの感覚で、リクナビとかマイナビとかで広告代理店を調べて応募しただけなんですよ。

なので、一次面接の時点で僕はD社の存在を知らなかったんですよ(笑)

伊藤)そんな安直な感じで受かるもんなの?

澤田)そういう世間知らずなところが良かったのかはわからないですけど…

Fランクって言われるような大学だったので…普通なら大手の広告会社になんて入れないんですよね。

でも、なぜか妙な自信があって、会社のことをよく知らなくても「まあいけるでしょ」みたいな感じでしたね。合格してから、採用担当の方に聞いた話だと、筆記テストの点数は全然足りてなかったみたいで(笑)

伊藤)結構、普通のこといっても入れないと思うんだよね。どういう戦略で何をアピールしたの?

澤田)生意気だと思うんですけど、「なんでうちの会社選んだの?」って聞かれて、「一番上に出てきたから」なんて答えていたんですよ。

「本当にうちに入りたいの?」っていうことに対しても、当時は短気だったので「あなた方も選ぶ権利はありますけど、僕にも選ぶ権利ありますから」とか、天下のD社に向かって言っていたんです(笑)

僕たちの時代ってリーマンショック直後だったんで、今ほど内定も取れなくて。

まだ、氷河期って呼ばれている時代だったので、みんなとにかく必死だったんですよ。そんな時代に僕みたいなやつって珍しかったみたいで、「面白かったから採用した!」と担当の方に後から聞きました。

伊藤)なるほどね。でもそれは意図してわけじゃないんでしょ?これって会社経営者も一緒だと思っていて、どんな優れてても営業って必要なわけじゃん。

なんだかんだみんな営業をしなくちゃ商売していけないんだよね。でも、そこが難しくて、ほとんどの人は自分のことをうまく話せない。

それを、圧倒的なアウェーの中で勝ち残ったっていうのはすごいよ。それって演出したの?それとも自然に出たものなの?

澤田)正直、半々くらいですね。意図的に行っていたところもありますよ。やっぱり周りが東大卒とか、海外の大学行ってましたって人もたくさんいたので。

どこかで違いを出さなきゃっていうのは考えていました。例えば、履歴書の写真も全力で笑顔だし、歯は見えてるし、私服だし、ってかんじで。何万通という応募の中でも履歴書の写真って結構みんな見るじゃないですか。

みんなが口一文字にしてかっちりした顔をしている中で笑顔全開の写真があると、後で落とせばいいんだから、とりあえず会うだけ会おうかってなるかなと思いまして…そういうことは考えたりしてましたね。

伊藤)そうだよね。写真は見るもんね!歯を出して笑った写真を撮ることなんて、本当は誰にだってできることじゃん。

でもそれを履歴書に貼るっていう選択をする人はなかなかいないんだよ。それって、商売で物が売れる人と売れない人と一緒だと思うんだよね。

澤田)僕は伊藤さんみたいにいい大学も出ていないし、特に背負っているものもなかったんで、捨ててもいいと思っている心の軽さみたいなものはあったと思いますね。

落ちたら落ちたですぐに独立すればいいやって思ってましたし。

伊藤)みんな採用して欲しいから企業に迎合するわけだよ。でもなんとか入れてくれって必死な人を採用しようって思わないもんね。相対的に目立つことで引っかかるってあるもんね。

澤田)僕も頻繁ではないですが、たまに日本のものを海外に売ったりですとか、アート作品なんかを海外に売ることがあるので、そういう時に気をつけているのが、一歩引いて商品をみるということです

これは就活にも通じるものだと思うんですが、自分が良いと思っているものって可愛いじゃないですか。

可愛いゆえにけなされたらいやだなとか、そういうのはあると思うんですけど、それを一歩引いたところから見ることが大事なんですよね。

当たり前って言えば当たり前だし、簡単なことなんですけど、実は意外とこれができている人って少ないと思っています。就職活動の時も同じで、面接官から自分はどんな風に見えるのかっていうのは考えていたんですよね。

伊藤)それは頭がいいからできるんだよ!できない人って分母が自分しかない。全部自分の視点でしか見れない。なんで相手の視点で見ないんだろうって不思議なんだよね。

なんでこんな話したかっていうと、商売の基本って就活で難関を突破するのと同じだと思っているから。澤田君は客観的にものを捉えながら、こうしたらいいじゃないかっていうのを戦略的に考えましたって話だよね。

1年目の成功から一気に店舗拡大!初めて知った黒字倒産の恐怖!!

伊藤)ちょっとここからは今の話に戻して、4年やってみてどう?24歳で会社を始めた時、1年目ってどうだった?

澤田)1年目に関しては今の僕からみると、本当に能天気でしたね。僕がインバウンド系の宿泊施設始めたころ、ちょうどゲストハウスとかが流行っている時期だったので、世間の時流に救われて初年度からうまくは行きました。

でも、正直全く何も考えてなかったというか、作れば流行る時代だったんですよ。最初に作ったゲストハウスの1年間の稼働率が98%とかだったので、一年目から黒字でした。ただ、あれはもう本当に運だけだったなと思いますね。

それがなかったら一年目で会社を潰してたなと思います。

伊藤)今は何店舗あるんだっけ?

澤田)今は市内だと直営で12店舗くらいありますね。

澤田)俺も一回泊めさせてもらったけどすごい良かった!1年目は、まぁ大変なことはあったけどこれは会社が潰れるみたいな大変さはなかったわけでしょ?それからの4年の間にはそういうことはあったの?

澤田)ありましたよ!3年目くらいの時なんですけど、会社の通帳の口座の残金が1万5千円くらいになったことがありました。1年目で結構売り上げができたので、これからも収入が減ることはないだろうと思って、2年目くらいで一気に拡大させようと、とにかく投資をしまくったんですよ。

小さいホテルを建てようとしたらそれだけで数千万円、一番大きいところだと数億の投資になるんですよね。一時的に工事金払った段階で手元のお金はなくなるじゃないですか。

でも売り上げが定期的に入ってくるから大丈夫だろうと思っていたんで、めちゃくちゃな計画でやっていたんですね。

伊藤)なんでそんなことになったの?これは絶対大丈夫って思ったってこと?

澤田)1年目が良すぎたんですよね。宿泊施設の年間稼働が98%とかありえないじゃないですか普通は。そこを勘違いしたんです。「時代が自分を求めてる!」くらいに考えてました(笑)

伊藤)一番ヤバい奴の考え方じゃん(笑)絶対うまくいかない奴だよ(笑)

澤田)そんなめちゃくちゃな投資をしてしまって、なんとかギリギリ耐えたは耐えたんですけど、日々入ってくる売り上げなんて数十万円くらいなもので、宿泊業はどうしても人件費がかかるので、そこを払わないといけないし…本当に死ぬかと思いましたね。

黒字倒産というのを初めて知ったというか、ほんとキャッシュがなくなるってこういうことなんだなって…

関連記事

著者プロフィール

伊藤 健太

伊藤 健太

2009年慶應義塾大学法学部を卒業後に、2010年株式会社ウェイビーを創業。
創業以来、一貫して、中小企業、個人事業主のインキュベーション(成長支援)に従事。
その数1,200社超。「世界を豊かにする経済成長のビジネスインフラを創る」というウェイビーの理念が大好き。
世界経済フォーラムが選ぶ若手リーダー選抜、徳島大学客員教授、スモールビジネス向け書籍7冊出版。

澤田修司

澤田修司

株式会社 シェンゲン 代表取締役社長 大学卒業後、大手広告代理店に就職。その後24才で独立し、株式会社 シェンゲンを設立。 現在5期目を迎える。開業当初はゲストハウス事業を手がけて、数千万規模の投資を行う。 その後アート事業も手がけて・お子さんの出産をきっかけに保育園業も行うまでになる。 日本文化の発信などにより、日本を良くしたいという思いの元に活動をしている。