中小企業は独自化で生き残ろう!株式会社カネマツ 代表取締役 松本則夫さん

ポイント
  1. 本社は北海道帯広市、建材販売を取り扱って40数年
  2. デイサービスの事業にも参入
  3. お客さまと友達感覚になる

中小企業が生き残っていくための一つの正解が「独自化」していくことなのではないだろうか。

そんな仮説からスタートした、経営者のインタビュー連載「中小企業は独自化で生き残ろう!」。

第8弾は、株式会社カネマツ 代表取締役 松本則夫さんです。

(聞き役:頼母木 俊輔 助っ人編集長)

継ぐつもりがなかった家業

−本日はよろしくお願いします!今日もダンディーでお洒落ですね。さすが帯広のジョージ・クルーニーですね。

えーと、これぐらいで大丈夫でしょうか(笑)

まずは、松本さんの会社のご説明からお願いできますでしょうか。

本社は北海道帯広市。建材販売を取り扱って40数年になります。

私は二代目社長で社長になって17年になります。両親二人で昭和57年からスタートした商売です。

家の基礎とか壁、天井、屋根、人の目に触れない壁や床の中に入ってるものが多くてわかりづらいのですが、5年前くらいからは外壁材や、ドアやキッチン、ユニットバスなども売るようになりました。

特にアメリカ、カナダの木造住宅で使われている高級屋根材などを積極的に扱っています。

いま輸入建材の中で最も売れている屋根の材料「アスファルトシングル」

スタッフは帯広と札幌で建材販売の仕事をしているのが20名で、釧路でFC加盟のデイサービス(介護サービス)運営をしていて10名、合わせて30名のスタッフとなります。

さらに、来春からはデイサービス2号店の準備が始まり5名のスタッフが増える予定です。

−建材販売の事業だけではなく、デイサービスの事業にも参入して事業を拡大しているところなんですね!会社を継ぐ前は他の企業で働いていたんですか?

父親との関係が良くなかったので家業を継ぐつもりはまったくありませんでした。

25歳ぐらいの時はちょうどバブルぐらいの時期で、仕事もたくさんありサラリーマンとして忙しくも充実した日々を過ごしていました。

そんなある日、10時ごろ帰宅すると、突然アパートの玄関先に、母親が泣きながら立っていました。

帯広の会社の社屋を建て直そうとお父さんが計画している、私ではついてくのがもう無理だ、頼むから帰ってきて欲しいと懇願されました。

私が絶対に帰りたくないことは母親も承知していたので、よっぽど困ってのことだったのでしょう。

相当悩みましたが、結局その二年後に戻ることになりました。

とりあえず北海道に戻って、だめだったら東京に戻ってくればいいやぐらいに思っていましたが、そこには底なし沼が待っていました。

−そのときの会社の規模はどれぐらいでしたか?

2億くらいの売り上げで従業員が5~6名でした。

自分は会社員時代に建築資材メーカーの営業をやっていたので、そこの得意な部分で営業をして、2,3年後には2億から4億くらいの売り上げになりました。

誰にも文句を言わせないぐらいの勢いで働いているという自負はあったと思います。

昭和ひとケタ生まれで、マジメですが融通のきかない父親とは喧嘩が耐えなくて、ガラスの灰皿がよく茶の間で飛び交っていて何個割れたか、わからないぐらいです(笑)

私があまりにも生意気な口を出すので、不意に、だったらお前が社長やれば良いだろって言われました。

社長をやる準備は何かないですかと言っても、そんなもの自分で考えろぐらいの感じで突然の世代交代です。

ここからが大変でした。社長になって初めて決算書をみて、すごい借金があることがわかりました。

借金返済のためにがむしゃらに働く

−二代目社長のエピソードでときどき聞くやつですね。事業を継ぐっていうのは簡単なことではないんですね。

その当時は決算書を見てもよくわからなかったので、銀行さんにどうなっているのか聞きにいきました。

当時の担当に挨拶にいったら本支店長が待っていてくださって、応接間に通されました。

歓迎してもらえると思ったら、いきなり大理石のテーブルをバンってたたいて、お前に金貸してたわけじゃない、お前の両親の信用で金貸してるけど、お前が社長になるならはやく金を返せと怒鳴られました。

いきなりそんなこと言われて、どうやって会社に帰ったか覚えてません。

こんなに多額の借金を背負わされて、自分はなんのために生きているんだろう、と色々なことが頭の中でめぐりめぐって泣いて帰りました。

二億円ちょっとの売上のころに五億近い借り入れ。どう考えても35年くらい、毎月100万円以上支払わないといけないくらいの金額でした。

そこから休みなんか関係なく、お客さんを増やして売り上げを上げることしか考えずにがむしゃらに働くという時代が長く続きました。

怒ったり泣いたりいじめられたりということを繰り返しつつも、借金を返済するという目的が、仕事を頑張る原動力にもなっていました。

頑張って売上をあげて、ようやく借金を返し終わるぐらいの頃に、大好きだった母親が病気で亡くなりました。

すでに自分の家族を持っていましたが、これには相当ショックを受けて、仕事を頑張る気力がでなくなってしまいました。

−そんな大変な時代があったんですね。

はい、そんな私を見かねた友人がエクスマ( エクスペリエンスマーケティング )の藤村正宏先生の存在を教えてくれました。

そこで学ぶようになり、仕事って楽しんでいいんだ、だめだったらやりかたを変えればいい、という経営の仕方があることを知りました。

それで、一緒に働く人たちには、とにかくのびのび働いてもらえるような環境をつくろうと思うようになりました。

それを強く実感したのはあるチラシをつくった時です。

自分たちを出すことが重要だということを学んだので、試しに顔出しして、くだけた感じのコメントを載せたチラシを作ってみたんですね。

商品は木材を切る、丸ノコといわれる商品。それを買ってくれそうな大工さんにチラシを配ってみたら、3日で50組が完売しました。約1ヶ月で160組が売れました。

−今までも売っていた商品だったんですか?

売っていましたが、チラシにするという概念がなかったし、お客さんに伝わっていなかったんですね。

そもそもパーチクルボードって商品自体がマニアックすぎますしね。

でもこの分かりづらい商品が売れたら何でも売れるんじゃないか?って。ひとつの商品でこんなに売れる経験をしたのが初めでした。

このチラシの扇風機も入荷が60台のみの販売で、直ぐに完売しました。

これはすごく効果があると感じたのと同時に、やっぱり仕事は遊び心を持つというのが大事なんだということがスッと自分の中に入ってきました。

それ以降、こういった販促物を7年間作り続けています。

その効果もあって最近はチームワークがよくなっているのを実感しています。

いま考えると以前の私はけっこうな放置プレーをしていました。

それなのに私の口癖は「前年対比を割るなよ」でした。だめな社長ですよね(笑)

社員からは不評だったチラシ作成

−チラシとチームワークがどうして関係あるんですか?

当初はチラシに顔を出すなんて恥ずかしいこと、なんでいきなりやろうとするんですかと社員からは不評でした。

そこからやっていくうちにお客さんが「お前が載ってるじゃん、せっかくだから売り出しやるならこの商品注文しておくから」と注文が入ってスタッフはチラシの効果ってすごいと驚くわけです。

−始めはみんな嫌がっていたんですね。

嫌がってましたね。なぜこんなものにお金かけて、ふざけたチラシをお客さんにばらまかなきゃいけないのか。それも全スタッフの顔載っているじゃないかと。

でも結局それがスタッフとお客さまが現場コミュニケーションできるツールに変わっていった。そこから注文もらうようになってくると、段々とチラシに出るのが喜びに変わってきます。

それで次はもっとお客さんに喜んでもらえるチラシをつくろうとチームになってつくっているうちに連帯感が生まれてきてというように、チラシひとつから繋がって色々なものが生まれていきました。

−確かに社員がみんな登場するようなチラシをつくるにはお互いのことを理解している必要がありますよね。

お客さんに伝わるだけではなく、社内に対しても良い影響を与えるというのが非常に面白いです。

はい、以前は行っていなかった部署ごとのMTGや、部署ごとの目標設定なども行われるようになりました。

チラシをつくる作業というのは、買っていただきたいお客さんのことを具体的に想像して過去の発言や要望を振り替えてって、こうやって伝えたらわかりやすいかなというのを形にしていく作業なんです。

仕事の仕方が全てにおいて、こうした伝わりやすさを意識するように考え方も変化していきました。

−意識が変わってきたんですね。

はい。以前の私たちの扱っている商品は施工の内部に使われているものがほとんどでした。

それが今では、建材として見える部分の商品のラインナップを増やして売れるようになってきたのは、元をたどればチラシを作るようになったのが始まりで、そこで想像力を磨いて、お客さんが欲しいものを深く考えるようになったことが関係していると思います。

お客さまと友達感覚になる

−楽しいことと、成果を出すことはどうやって両立させれば良いですか?

父親にはずいぶん怒られましたけど、社員には、お客さまと友達感覚になるという表現するようにしています。

もちろんちゃんと距離感のある友達感覚です。気軽な言葉をお客さんと掛け合うのが私たちの会社の中で普通になってきています。

値段や条件では、ここにはかなわないという販売店さんがたくさんあります。

ただ最終的に買う場所はお客さんが決めるということ。

何度も同じ現場に足を運び人間関係ができていると、仕事をしていても楽しいし結果的に営業もうまくいくんじゃないですか。

−企業としてどういうようなことをやっていったら独自化していけると思いますか?

うーん、改めて考えると難しいことですよね。

最近うちの営業がやっているのは、変わった商品の提案をするということ。

だいたいどこも同じような商品で、安いほう安いほうって提案するが、うちの営業はそれをひっくり返すんですよ。

今までの仕入れ先には飽きているというのがお客さまの中はあって、お客さんがニッチなものを選ぼうとしているタイミングで、こんなのもありますよという提案をする。

それを受け入れてくれるお客さんの売り上げがグンっとあがりました。

それをやるためには定番商品以外を勉強している必要があります。

うちもお取引いただいている会社さんから日々いろんなことを学ばせていただいています。

−これは失敗したと思うことは?

3年前に札幌の事務所を作ったときに立ち上げをお願いした人物がいたが、結局フタを開けてみたらけっこうな額を使い込みをされてしまった。

人は簡単に信用したらだめだよという反省ですね。全ては社長である私の責任ですが、高い授業料になりました。

−直近の経営課題教えてください。

今3ヶ所で仕事してて、来春には4ヶ所にしようとしているので、一人でも多くスタッフを育てることに力を入れています。

例えば、今まで借り入れの交渉は私自身しかしてこなかったのを、今後はスタッフにも担当させようと考えています。

借り入れ返済計画とかを勉強させ始めたところなので、一人でも多くのそういうことができるスタッフを育てていきたいです。

−商売で大事なことをあえて3つに絞ってあげるとしたら?

朝のおはようございますの挨拶。

請求期日に一日も遅れないで支払いをする。

お客さまとの必ず約束を守る。

− 最後に、気になるお父さんのとの関係は?

はい。あれだけ憎たらしかった父でしたが、今では一緒に写真を撮るくらい会話をするようになりました。

まー。なかなか笑顔にはなってくれませんが笑

親子供関係なく、歩み寄ることが大事だよ。と、歳下ですけど、とても尊敬できる社長に言われました。

業績も良くなり出したら、新しい車買ってくれって甘えてくるようになりましたしね。

なにより灰皿代がかからなくなって良かったです。

−今は毎日楽しくお仕事されていると思いますが、その笑顔にたどり着くまでに、多くの困難を乗り越えてきたということがよくわかりました。

SNSの投稿からだけでは知ることができない、経営者のリアルな生き様をうかがうことができました。ありがとうございました!

松本社長の商売の原点は、アルバイト時代の夜のすすきので学んだとおっしゃっていましたね。

ぜひ今度は、社長の原点を勉強させてください!!!

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